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■ 君の奥の本当の声、聞かせてよ。


 そのCDを僕はずっと封印していた。彼の歌う言葉、世界はあまりにも達観され過ぎていて、僕は崇敬の念すら抱いた。そのある種宗教じみた自分の気持ちに僕は戸惑い、どう整理をつけていいのか分からなかった。ただ素直に心に留めておくことが、その頃の僕にはできなかった。

 僕はそろそろ誰かの声を聞かなければ、と思う。それが誰かも分からないけど、僕へ届けられたその声を、聞き落としてしまわないように。そして僕も誰かに届けられればって思うんだ。今はまだ、耳掃除くらいしか思いつかないんだけどさ。

                                     2001 6 26





■ 平凡にして非凡なる日常

 僕は文章に興味があるわりに本を読む絶対量が少ないと思う。金に余裕があるのならジャケ買いのように直感のみで選んでみたい気もするのだが、文庫本ひとつを何度も手にとって迷う財政状況ではなかなかそれも叶わない。僕の守りの体制は人間関係に留まらず、細胞の隅々まで行き渡ってしまったみたいだ。

 先日僕はずっと見つけられないコミックキューを求めて大きな本屋へ行った。新刊のコーナーには江國香織と辻仁成の「恋するために生まれてきた」が積まれていた。「冷静と情熱のあいだ」はおもしろい試みだと思っていたのでちょっと手にとって数ページ捲る。が、エッセイ嫌いの僕に購入欲は沸かなかった。極めつけが帯の言葉で「究極の恋愛論」と銘打ってある。ああ、ダメだ。自己啓発の本は苦手だ。そろそろと平台を離れ、本来の目的を片付けようかと思った僕の目に別の興味の対象が映った。「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」その言い回しが気になりびっしりと詰まった棚から抜き出してみる。帯には「さりげない日常をくるむ透明なことばの棘」とある。それは谷川俊太郎の詩集だった。谷川俊太郎の名前くらいは知っていたが、僕は詩というジャンルを読んだことがない。薄笑いを浮かべてしまうようなナルシズムな響きがそこにはあるように思えたからだ。とりあえず数作読んでみる。両手をあげて素晴らしいとも、かと言って全く詩ってもんはこれだからとも思えなかった。ただ、ある詩の一節が僕の心を捉えた。パラパラと捲っただけでひとつでも感じるものがあったのだから、買ってみるのも悪くない。珍しく柔和になった僕は、あまりにも有名なその作家の数ある作品の中から2冊選び出して左手に持った。ここで僕の箍が外れたのだと思う。「文芸レアグルーヴ」(日本文学100冊のレビューが載っている)の曾我部の帯にやられ、そこにレビューされていた吉行淳之介を2冊、それから江國香織の「なつのひかり」、更には南Q太のコミック、探していたコミックキューとバックナンバーを3冊、Q太が連載しているエロティックス・エフを2冊、久し振りのロッキンオンとクイック・ジャパン(表紙のキセルが気になったのだが、開いてみたら20歳そこそこのフリッパーズがいて驚いた)にまで手を延ばし、正気に戻ったのは会計を言い渡された後だった。

 帰りに性懲りもなく「文芸レアグルーヴ」に夢中になり地下鉄を乗り過ごしてしまったのだけど、何だか僕はうれしかった。読みたいと思わせるようなレビューに出逢う度、少しのジレンマと圧倒的な貪欲さを感じ、なのにそれが心地よくってにやけてしまいそうだった。好きなものを手に入れる喜びは手に入れるまでが楽しいのであって、手に入ってしまったらほんの少しうんざりする とあなたは言うけど、僕にそれは当てはまらない。好きなものに囲まれた生活を、僕はまだとても素敵だと思う。地上へ出た瞬間明日からの生活の不安が頭を過ったけれど、少し湿った濃い緑の空気を思いきり吸い込んで(明日なんて知るか)と鼻で笑い飛ばした。

                                     2001 6 25





□ 更新報告




 photo に「幸せの情景(視覚篇)」をアップ。

                                     2001 6 23





■ 幸せの情景

 朝の山の手を半周したところで電車から吐き出された僕は、カバンの底でくしゃくしゃに丸まっていた地図を取り出した。迷わないよう夜のうちに自分で書いたものだ。腕時計を見やると約束の時間から5分経過している。僕は携帯電話を開き、この街の遠くない場所でパソコンを立ち上げてるであろう事務の女の子に「道に迷ってしまった。急いでそちらに向かう」と告げた。そう、僕は迷ってしまったのだ。さっき口にした言葉を今度は自分に向けて反芻し、立ち止まって煙草に火をつける。思わぬ方向へ進む自分を想像しながら、地図を片手にゆっくりと間違いなく細い路地を進む。慶應仲通り商店街 と僕の汚い字で書き殴られたこの道には、シャッターで閉ざされた飲み屋と積み重ねられたゴミ袋ばかり並んでいた。

 ここ数日を思い返してみても、脳裏には何一つ情景が浮かんでこない。目粉しい世界と引き換えに失うものは、粗方自分が予想していた通りのようだ。その分得るものももちろんあるのだが、まだ僕にはその代償が大き過ぎる。何もなかったのだろうか。心臓が静かに締めつけられるような、自分がどこに立っているのか分からなくなるような一瞬は。おとといビルの7階の非常階段から見た夕暮れ。闇に推移されてゆく総武線。そこまで何とか記憶を辿ったところで、僕の身体は一歩の相違もなく目的地に着いていた。

 自分のものではない慣れない拘束という時間から解放され、僕はわりと心地よい小さな溜息をつく。手で書いた地図は思ったよりもこの街を身体で憶えさせる力があった。知っている街を歩くような気分で朝とは別の道を選ぶ。この路地をまっすぐ行くとどこへ出るかも予想がつく。街の活動時間は今からのようで、朝とは別の顔をしていた。板蕎麦 地酒 おでん そんな暖簾に足を止める。この界隈を僕は好きかもしれないと思う。道は狭く、所々に古い昭和初期を思わせる風情の家屋を見かける。違和感なく佇んでいるその情景は無造作に僕の中に入り込む。この感覚は何だろう。頭で考えるより先に網膜に焼きついてしまうような、自分が直感で生きていると錯覚してしまうような瞬間。路地に直接平行した戸の脇には朝顔の蔦が伸びていた。立掛けられた細い棒を伝いながら紫がかった青の花を幾つか咲かせ、二階の手摺りに隈なく絡みつき、それでも飽き足らず電線へと手を伸ばす。そんな光景を随分貪欲なんだな、と呆れた顔で眺めてみたが、しばらくそこを動く気になれなかった。窓は開け放たれているのか、簾がかかっている。あそこからビールを片手に煙草を吸い、ぼんやりと空を眺められたらどんなに素敵だろう。今は晴れているけど、夕立がくるのもいいかもしれない。それが自分の思い描く一番の幸せな情景なのだな、と僕は今更気づく。まだ大丈夫だ。朧げな安堵の気持ちを胸に、僕は再び駅へ向かって歩き出した。

                                     2001 6 21





■ ただ通り過ぎるのを待つ

 午前0時に僕を呼び出した彼女は、すでにアルコールを摂取しすぎていた。2年振りに会ったというのにこの待遇はなんだと一人ごち、これからどうすんのと聞くと「横になれるところへ行きたい」と言う。誘っているのかと少し飽きれて彼女の表情を窺う。「久し振りに会ったのにごめん。さっきまでまだ飲めると思ってたんだけど…」彼女の顔色は青白かった。一人素面でいるのも居心地が悪かったが、店で吐かれても都合が悪い。向かうべき方向を見失った僕は「カラオケ?それともホテル?」となるべく感情をこめないように聞いた。当然終電などなかった。

 ガラスでいくつもの空間に仕切られた冷蔵庫から2本入りのチューハイを取り出す。一箇所だけ蓋もなく空いているスペースに一本入れてドアを閉じる。「あーなるほど。そこはそうやって使うんだね。今度彼女ができたら同じことやってみてよ。きっと呆れられるから」横で覗いていた彼女が笑う。「金曜の夜に空いてたことが奇跡だな。ちょっと値段は高いけど」「いいの、出張費で落とすから。それより元気ね。何時に起きたの?」「何時だろう。でも寝たのは3時間くらいだよ」「…眠い」「寝ていいよ」折角会ったのだから朝まで起きていると言い張る彼女はコーヒーのプルトップを開けた。だけど僕らの話の糸口は昔話くらいしか思いつかなかった。何度も電話でリハーサルされたような会話。そして僕はいつものように色んなことを忘れていってる自分に気づく。「正直あまり憶えてないんだ」「昔の話ばかりでごめんね。楽しくないよね」「え、いや、そんなことないよ。楽しい楽しい」「二度同じ言葉を繰り返すのって言われた本人は傷つくわよ」「そうだね。無意識なんだ。ごめん」お互いの気遣いは2年以上の空白を示唆していた。彼女は僕が冷たくなったと言った。そうかもしれない。そしてそれをこの街のせいにしていいのか、僕には判断がつかない。お互いシャワーを浴びそれぞれベッドとソファからTVを眺めた。会話がなければ昔と少しも変わらない空間のように思えた。願わくば、このまま彼女が寝てくれますように。僕が忘れてしまったものをこれ以上突きつけられませんように。

 2本目のチューハイで眠気が襲ってきた僕は、目を閉じている彼女の隣にそろそろと入った。あまりに落ちついた自分の気持ちに戸惑いすら感じた。「寝てる?寝たふりだろ」彼女は吹き出し「だんだん目が冴えてきちゃった」と天井を見つめながら呟いた。わざわざ確認することもなかったな、と自分のチグハグな行動に溜息をつこうとした瞬間、彼女の唇が触れた。甘んじて受け入れてみるが何だか急におかしくなって僕は笑い出した。「笑わないでよ」口調には拗ねた響きもあったが、彼女も笑っていた。「ああ、ごめん。だってさ、何か…近親相姦っぽくない?倒錯した世界だ」「そうだね。すごく変な感じがする。怖いとも思う」「怖いの?」「怖いよ」何が怖いのだろう。そんなハンデを背負いながら彼女は何を確認したいのだろう。「僕はどんな距離感でいたらいいのか分からないんだ。全ての人において当てはまることだけど」「もっと甘えたらいいのに」「そうだね。だけど甘えるってどうしたらいいのか、それすら分からなくなってしまった」彼女は分かったような分からないような顔つきをし、もう一度キスした。再びこみ上げる笑いを誤魔化すように、僕は「まさかするつもりなの?」と聞いた。「しないつもりだったの?」「ぶっちゃけた話そんなつもりはなかった」彼女は苦笑まじりに「じゃぁ、しない」と言い、ポスンッと自分の定位置に戻った。そして自分に言い聞かせるように「このままいい想い出として留めておいたほうがいいのかもしれない」と呟いた。

 気配を感じ、ふと目を醒ます。視界は真っ暗で、どのくらい寝ていたのか時間を推算することはできなかった。多分彼女はずっと起きていたのだろう。何も見えないこの部屋で、それだけはやけにはっきり感じた。そして僕の目が醒めたことも彼女は気づいていると思った。僕に彼女を拒む言葉はもう出てこなかった。性欲とは別物のように思える衝動。よくない結果を生み出すだろうと予感しながらそれでも何かを確かめたがっている切羽詰った彼女に、これ以上何が言えるのだろう。キスをしてから彼女は「してもいいですか」と小さな声で聞いた。僕は暗闇か彼女か分からないところを見つめながら「いいよ」と答えた。

 人気の少ない午前、JRの改札で僕らは別れた。黒いボストンバッグが見えなくなった後、僕は空腹と虚しさに気づいた。虚しさなんて感じない術を身につけていたはずだった。寂しさを埋めるためのセックスなど持ち合わせてはいなかった。3年前僕は彼女が好きだった。でも、ただそれだけだ。人の気持ちがこんなにも変わることを自分で目の当たりにしたのだ。そしてこの感情こそ僕が他人に一番恐れているものだった。

                                     2001 6 15





■ そっと運命に出逢い 運命に笑う

 曇り空にももう飽きたけれど、僕の心の温度はとりあえず一定に保たれる。玄関の横に立掛けられた透明のビニール傘の束から一本取り出す。傘にも人にも思い入れを少なくしようとしている僕にビニール傘はうってつけだ。いつもの曲がり角。どこかの家の庭先に薄い橙色の実がいくつもなっている。傘をさしながらでも周りが見えるなんてやっぱりすばらしい発明だよ、なんて思いながらよくよく目を凝らすと、それは枇杷だった。枇杷は今の時期にこんなにいっぱいなるのだな。うん、枇杷は好きだ。一人で暮らしていると口にする機会はさっぱりないけど、多分そんなところが好きだ。幼い頃に食べたザクロやアケビのようなノスタルジックな雰囲気にやられてしまう。ジャンプすればひとつふたつ簡単に手に入れられそうだったが、近所の家から無花果を取って帰ってきた僕をおばあちゃんが泣いて叱ったっけ と思い出し、気恥ずかしくなってやめた。ああ、そうだ。桑の実も食べたいなぁ。そんなことを考えながら近所のモスへ入る。さっき買ったばかりのエロ雑誌を読み、いつもうまく食べることのできないモスバーガーのミートソースで今日も悪戦苦闘し、煙草を吸う。窓の外を見下ろすと、道ゆく人々の傘は紫陽花の花のようだった。今まで気にもとめなかったが、向かいの店はどこにでもある文房具店のようだ。

 モスを出て、何の気なしにまっすぐ向かいへ足を踏み入れてみる。今更ノートなど買わない僕を、やっぱりそこはノスタルジックな空気で迎えた。ひとつひとつ丹念に見てまわる。画材の匂いに安心感を憶える。絵を描かなくなってからどれくらい経つのか。もう僕の家には鉛筆も、消しゴムすらない。ケント紙に指を触れた。懐かしい感触だった。そのまま数枚手に取り、鉛筆と消しゴム、そして小さな鉛筆削りを選びレジへ向かう。大したものは描けない。描けるかどうかさえ分からない。それでもこんな気分は悪くなかった。何を描こうかなぁ…と大袈裟に思いを馳せ、手の中にある袋を濡らさないように胸に抱えながら歩いた。最近絵も観ていない。あの実家の隣の美術館へ最後に行ったのはいつだったろう。多分19の頃。彼女と観たルノアール展が最後だ。

 彼女は絵が好きだと言った。彼女は僕がその当時つきあっていた子の友達だった。シンクロするカテゴリと刹那的な彼女の生き方は僕の興味を惹くのに充分だったし、お互い相手がいたことなど少しも気にならなかった。恥ずかしい話だが、僕は確信していたのだ。そしてその通りになった時、僕は(ほらな)と心の中で笑った。「少しだけ色盲なの」絵を眺めながら彼女は言った。そんなこと全く知らなかった僕は何と返したらいいのか分からず、絵から視線を逸らすこともなくただ黙っていた。
「緑がうまく見えないみたい」
 ロビーで大学の教授と偶然会い立ち話を始めた彼女を残して外へ出た。煙草が嫌いな彼女に合わせ吸うのをやめていた僕は手持ち無沙汰になり、ベンチに腰掛けぼんやりとしていた。彼女の世界はどんな風に映っているのだろう。彼女が正しく見えていないと言った色を僕はこうだとうまく説明できないし、彼女だってこの色がこう見えるなんて言えるはずもない。だいいち色なんてみんな同じに見えているのか。僕に映っている世界も本当は違うのかもしれないし。そう考えると色々なことが全て不確かに思えた。だけど医者から言われたのなら、明らかに彼女の目には自分と違う世界が映るのだろう。僕はそれが見たかった。共有することのできないその世界をどうしても見たいと強く思った。頭上には燕の巣があり、親が雛鳥に餌を運んでいた。ピャーピャーと欲しいものを素直に強請る雛たちに、何度も何度も。

 彼女はよく東京で暮らしたいと言った。そして僕は東京にだけは住みたくないと答えた。夏休み中何も言わずに音信不通になり、突然僕の家にハーゲンダッツのアイスを送りつけた。添えてあった瑞々しい苺の絵葉書には綺麗な字で 今 東京にいます と書かれてあった。僕は何故東京からアイスを送る必要があるのかと考えながら、大き目のカップを抱え込み直接スプーンを突き刺して食べた。

 別れてからニ度ほど、僕らは偶然出会った。一度目は彼女がバイトをしていたコンビニで。二度目は僕がバイトをしていた居酒屋で。相変わらずお互い相手がいた僕らはそ知らぬ顔で通り過ぎたけど、二度目の再会で僕は確信していたのだ。彼女が後日連絡してくるだろう、と。そしてその2日後に、僕はやっぱり(ほらな)と笑った。
 彼女は今どこにいるのだろう。同じ東京の空の下にいるのだろうか。いや、暮らしたいと言った彼女はきっとまだノスタルジアな空の下だ。暮らしたくないと言った僕だけ何故かここにいる。彼女の描く絵を、色彩を、せめて一度は見たかったなと僕は思った。

                                     2001 6 14





■ 雨は毛布のように

 伸ばしかけたキミの手に今日も気づかないフリをする。殺風景な部屋でだけ、僕はキミに跪く。なぁ早く言えよ、口癖のようなあの言葉を。キミの「死んじゃう」が聞きたいんだ。それで僕は安心して「死んじゃえばいいのに」って思えるから。もう今更後戻りできないって気づいてるんだろ?

 あなたの後ろの窓から見える世界は鉛色。額に入った絵のようにあなたも塗り込められればいい。殴らなきゃ暴力じゃないなんて思わないで。私だって簡単にあなたを傷つけることができるのよ。もうキスはやめて。舌で唇をひらかないで。隙間から溢れそうになる言葉。「これは演技なのよ 早くイっちゃって」お互いを憎むことによって保たれるバランス。だから私は今日も「あなたも死ねばいい」と祈る。

                                     2001 6 13





■ にっこり笑って 鋭くなって

 壁に凭れて煙草に火をつける。目の前の交番では凶悪犯のような警官が無線で何かを話している。人の印象の9割は視覚からだ。いつか心理学で聞いたそれを、僕は結構真に受けている。ビルの上に掲げられた電光掲示板の気温は27℃。吐き出した煙に溜息が混じる。そんなこと、知らずにいたかったのに。

 八重洲の堅苦しい用事を終え、本屋へ立ち寄る。銀色の柱に映る自分は、当たり前のように社会に適応しているかに見えた。本当の社会不適合者なんてどのくらいいるのだろう。ダメな人間のふりをしながら、みんなそれなりにやっているみたいだ。僕はお人よしだな。いい加減騙されていることに気づいたほうがいい。そして今度は自分が誰かを騙してやろう。拗れた前向きな考え。

 コンビニの会計金額で自分のストレスを目の当たりにする。ストレス、不適合、弱い自分を定義するパフォーマンス。明日も僕は着馴れないスーツで自信に満ちた表情を貼りつける。人の印象の9割は視覚からだ。

                                     2001 6 11





■ 昨日見た夢

 僕は本来夢をあまり見ない。睡眠のメカニズムからいったら多分見ているのだろう。だけど覚醒したときには憶えていない。(若しくは忘れたふりをしている)空想でも現実でも、だ。けれどここ数日の覚醒は酷く後味が悪い。レム睡眠のみで構成されたショートショート。夢と現を何度も彷徨い、戸惑った後の倦怠感までワンセットだ。瞼を閉じたのは朝方だったが、今日は2時間で根を上げてしまった。存在するはずのなかった土曜日はまだ半分も終わっていない。

 久し振りに会った彼女は明らかにはしゃいでいた。道玄坂を上りながら、僕は自分の気まぐれさを呪った。隣を歩くことさえ鬱陶しく、歩調を速めたり急に止まって周りを見渡すことで、彼女への無関心さを伝えようとした。小走りで僕に寄り添う彼女の話に適当な相槌を打った。かつてはビジネスホテルだったであろうと容易に想像できる、無機質な部屋のベッドの中でだけ、わざと丁寧な愛撫をした。

 新宿で乗り換える彼女に「じゃぁ」と別れを告げようとすると、ご飯でも食べていかないか、と言う。僕があまり金を持ち合わせていないことも考慮してか「ごちそうするから」と付け加えた。チェーンの居酒屋のカウンター席で一杯のサワーと石焼ビビンバを頼み、あとは彼女に任せた。顔を合わせたときよりも彼女の口数は減っていた。僕は自分が罪悪感に苛まれないように、人は食い溜めができればいいと思わないか、とか 私小説でも書いたら売れねぇかな、とかどうでもいいことをさも楽しげに喋った。煙草の煙の流れる方向にふと目をやると、数時間前の彼女を彷彿させる女が目に止まった。大学生だろうか。懸命に喋る女の隣では同い年くらいの男が黙ったまま携帯を眺めていた。緑に発光している画面では、薄暗い店内の男の表情を捉えることができなかった。

 店を出ると「ごちそうさま」の後に続く会話はなかった。それに気をとられるわけでもなく、無言で駅に向かって歩く僕の耳に彼女の言葉が届いた。「隣のカップルも何だか奇妙な雰囲気だったね ずっと気になっていたんだけど、結局関係が分からなかった」この日初めて僕は彼女の顔を見た。この日初めて僕は彼女に反応した。

 車内の電光掲示板に明日の天気が流れる。 − はれ のち ときどき あめ −
一体どうしろってんだ、と僕は呟いた。

                                      2001 6 9





■ セロファン

 夢だと気づき目が醒める。少し身体を起こし、壁にかかった時計を見やる。分かるのは長針と短針の指している数字だけで、午前とも午後とも判断がつかない。まぁどっちだって構わない。もう一度夢でも見よう。虚構だと気づく夢でも見よう。

 どんなに動かなくても腹は減るようだ。動いた分だけ食物を摂取する仕組みにはならないものか。今日もまた「怠惰」と「空腹」を戦わせる。勝敗は明白だけど、数時間、時には十数時間それに気づかないふりをする。

 午前5時、雨はやんでいた。四方は白にほんの僅かな黒を混ぜた絵の具で均一に塗り込められ、木々や建物の輪郭をも塗り潰していた。頭上を見上げ、境目が分からないくらいの薄い青で、どうにかそれが空であることを確認する。道は歩く人ひとりおらず、雨でぐんにゃりと曲がった遊戯王カードが道標のように点々と落ちていた。一枚拾い、誰の所為かと考える。僕の考えることはいつも合理的ではない。空と煙草と小説とインターネットと音楽。僕の生活を構成するものはこれで間に合うようだ。僕はいつも空を見上げる。空が好きなのか、そんな自分が好きなのか。

 あまり面倒をかけない小さな植物たちに水をやろうとプランターを持ち上げる。何か違和感を感じまじまじと見つめると、新しい枝が一本突出していた。先についた薄黄緑の葉はまるで作り物のセロファンのようで、触った指が透けて見えた。どうして今まで気づかなかったのだろう。お詫びに僕の生活を構成する物質のひとつに加えてやろう。

                                      2001 6 7





■ 摂氏十五度

サイト名を変えました。新しいサイトの名前は「常温」です。
「恋してるとか好きだとか」も気に入っていたのですが、この後に続く言葉を僕は否定的なイメージに捉えていたので、サイト名に惹かれて来ていただいた方に申し訳なくなってしまいました。内容は何一つ変わりませんので、もしよかったらこれからもおつきあいよろしくお願いします。

「常温」とは 常に一定した温度・平常の温度 という特に説明もいらないような意味なんですが、化学では摂氏15℃を指すようです。15℃という温度は人にとって少し肌寒い感覚じゃないかと。そして僕は摂氏15℃のような人間なんじゃないか、と思ったらなんだか愛着が湧いてきました。

もちろん他にも候補はありました。
「無帰還」「非生産ループ」「冷たい音」「光と水の関係」「君の声」
こんな感じで実は自分では「冷たい音」か「非生産ループ」かな、と思っていたんですけど、試しに3人に聞いたところ2人が「常温」という答えだったのでそれに。僕は人の意見に左右される男です。あとのひとりは「全部ともさかりえのシングルのB面みたいだ」と言い、勝手にサイト名を考えてくれました。「WEB俗世間」と「生きてこそ」。そんなおもしろいタイトルにしてたまるか。そしてB面じゃなくてカップリング。あ、でも人に「こっちのほうがいいよ」とか言われたら変えてしまいそうです。僕は人の言うことに左右される男です。

このサイトにリンクをはってくださっている管理人の方々、もしこれに気づいて変えてやる気になったら変更よろしくお願いします。前の名前で放っておいても構いませんが、変更の際には「常温」でお願いします。「生きてこそ」は勘弁してください。

                                     2001 6 5





■ 川越街道

 あまり強い日差しの下では目があけられない。僕は白く飛ばされた世界を気難しい表情で掻き分ける。信号待ちに足を止め、渋谷の女のコはかわいいなと思ったりもするのだが、それ以上に不快感は増す一方だった。明治通りの喫茶店へ入る。アイスティーの涼しげなグラスにシロップを混ぜ、苛立たしさを中和させる。こんなに心からおいしいと思うには、この不快感も必要なのかとまた少しげんなりする。目の前の人たちとの会話で少しずつ生気が宿ってくるのを感じる。

 僕はひとり改札口で別れを告げ、夕刻と呼ぶにはまだ早い渋谷を後にする。山の手の電車の中で、本屋にでも立ち寄ろうかと考える。先の見えない曲がりくねった通路で僕は、一瞬身を硬くする。違う、よく似た人だ。それに僕はあの人が今どこに居るかを知っている。突然跳ね返された心臓を素手で乱暴に抑えつける。僕は知っている。あの人が今池袋にいるはずはないのだ、と。東京で偶然知り合いに会った経験はない。大して遠くない町で暮らしていても確率はあまり変わらないのかもしれない。例えここに居たとしても、お互い本の隙間を隈なく歩いたとしても、永遠に巡り逢うことなどないように思えた。それが哀しいことだなんて、僕はもう思わない。

 日曜ですら閑散とした地下鉄を降り地上へ出ると、もう視界は白ではなかった。見つけられなかった本をもう一度探そうと、川越街道へ出る。突然立ち止まった僕を避けきれず、誰かの肩が背中を打つ。人の流れも構わずにただじっと空を見つめる。それから僕はゆっくりと後ろを振りかえる。

川越には薄い硝子細工のような夕暮れ。
池袋には溶けかかった飴玉のような月。

                                     2001 6 3





■ 「現状」のループを壊す

 目を覚まし、真っ先に感じたのは空腹だった。欲望に忠実に生きている、自己管理のできない自分を諌める為にちょっと我慢をしてみよう。あまり役に立ちそうにもなかったが、食材を買いに行く気力の湧かなかった自分に尤もらしい言い訳ができた。冷蔵庫から昨晩作った麦茶を出しグラスへ注ぐ。一口飲んでみると、口の中に血の味が広がった。・・・鉄か。どうして除去してくれなかったんだ、と中に入れておいた備長炭を恨めしそうに睨む。備長炭の効用に「鉄分の除去」は含まれていないのだろう。外壁工事のせいだろうか。TVの映りもすごく悪い。浄水機など持ち合わせていない僕は鉄分補給だと無理矢理託けて、麦茶を一気に飲み干した。ポジティヴシンキングごっこはわりと楽しい。

 ポストを覗きに玄関を出ると、アパートはいつの間にか壁だけ新築のように真っ白に光っていた。前はどんな色だったのか、どうしても思い出せない。その代わり、自分がしばらく太陽の下に照らされていなかった事実に気づく。何の気なしに腕を伸ばしてみると、身体の節々がオイルの切れた部品のように軋んだ。動かないにもほどがある、と自分に憤ってみたところで外界への興味は湧いてこない。僕はプログラミングされたロボットみたいにパソコンの電源を入れる。折りたたんでバッグに突っ込んだままだった FUJI ROCK のチラシを引っ張り出す。常時接続なのだと再認識するかのように、昔の音楽雑誌のページを次から次へと捲る。久し振りに絵が描きたくなる。人の横顔ばかり描きたくなる。明日会う人に連絡をとらなければいけないことを思い出す。いつの間にか着信専用になっていた携帯電話の発信ボタンに触れる。「もしもし」うまく空気を振るわすことのできなかった声帯で、自分がニ日振りに声を出したことに気づく。空腹を感じてから12時間が過ぎていた。

                                      2001 6 2





■ 午前2時に電話をくれたキミへ

「アナタが解からなくなった。アナタの書く文章が解からなくなった。」
それで正解。キミは解かっているよ。僕が何かを試していることが、僕が何かに迷っていることが、多分キミには伝わっているんだ。うまく書けない。違う、うまく書こうとするから書けない。こっちでもあっちでもそうだ。やめてしまおうか、と思ったりする。やめられないことも解かっている。自分だ、とどこに胸を張ればいいのだろう。やさしさと残酷さのどちらを選んだらいいのだろう。うまく融合させることができない。余裕がないんだ。今はどっちか極論しか選べない。それなのに、どっちの自分にも吐き気がする。こんなことを言う必要はないのだろう。感じて認めて越えた上で書き出すべきなんだろう。「べき」というか、そうしたかった。全く僕は堪え性がない。イメージと現実にはかなり隔たりがあるもんだな。その隔たりは厚くなったり薄くなったりするんだけど。多分もっと思考錯誤する。長く滞ってるかもしれないし、突然開き直るかもしれない。あぁ、違う気がしてきた。もう答えは出てるみたいだ。ただ、その覚悟が僕にはできていないだけだ。はは、何だ、そっか。OK 切り捨てよう。

僕は人の為に祈ったことがない。人のシアワセを願ったことが本当にないんだ。それって人としてどうなんだとは思うけど、まずその自分を認めることから始めるよ。自分の為に偽るやさしさや関係を取り払らって、最低な自分が自分なんだと。念の為言っておくけど、決してキミを偽善者呼ばわりしているんじゃない。だってキミは偽善なんてできそうにないもの。そしてキミを切り捨てるって話でもない。解かってる?解からない、と言われそうだなぁ。

                                      2001 6 1
































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