log (2002.1 〜 2002.2)
 
1月6日
 岩手の友達から電話がかかってきたので出ると、子供の声で「おばちゃんおばちゃん」と言う。暫く黙っていると友達のダンナに変わった。にやにやしてる顔が容易に想像できたので(キミらは子供がかわいいだろうがみんながみんなそう思ってると思うなよ)と悪態を吐きたくなった。「明日飲むんだけどどうせ暇でしょ」いちいち感じが悪い。面と向かって「おばちゃん」としつこくされたら本気でキレそうだ。どうせ言うんだろうけど。
 明日からパン屋の営業が始まるので母に店舗の掃除をしてと言われる。コーヒーを入れたところだったので返事をせず不服な顔をしてみせたが気づかない。エプロンは箪笥の上、などと平気で指示する。
 何が嫌いって掃除をするのが一番嫌いだ。もちろん無口な私は声を出さずに思うのみ。重ねてあったエプロンの山から適当に紺色のを取って締めると喫茶店のアルバイトみたくなった。エプロンなんて以前一緒に暮した人に「エプロンつけて料理してみてよ」と半ばコスプレチックなことを言われた時以来だなぁ、と感慨に耽る。
 床を掃き棚を拭き、床を雑巾がけしているうちに楽しくなってくる。中学校の教室掃除当番みたい。お客さんから見える部分だけでいい、と言われたのにレジの裏側まできっちりやる。パンの梱包用ビニールの頭の部分を切る、という変な作業を手伝った後部屋に戻ったが、エプロン姿が気にいったのでそのままでいることにする。500円くらいお駄賃くれるかなと思ったけどくれなかった。
 もしかして明日も手伝わせるつもりなのかしら。訊きたかったけど訊けずにいる。私は、無駄なことどころか肝心なことも母に言えないのだ。
 隣のスナックから青葉城恋歌が聴こえる。さとう宗幸はケチだと誰かが言ってたことを思い出す。
 
 
1月9日
 目が醒めたら切符を買って逃げ出してしまおう。今ならまだ片道分買える。
 布団の中の手足は長い間温もらなくて、そんな時に浮かぶのはこんなことばかり。しかも日に日にその考えはより具体的になってくる。
 他者に対して酷く怯える。他者の筆頭は自分の親だ。絶対に切れない繋がりはいくらでも私を昔に戻す。さほど言われることもないのに顔色を窺いくだらないことに神経を使う。目の醒めている間どうしていたらいいのか分からない。パソコンを繋ぐこともTVを見ることも本を読むこともぼんやりすることも許されていない気がする。時々耐えきれなくなってふらふらと外へ出る。目的もなくただ逃げ出し、使わなくても良い金を使う。
 壊れてしまえばいいのに。壊れてしまえと願ったところで果敢なげぶる私は充分頑丈に出来ていて、感情を押さえても押さえても一向に放出される気配がない。まだまだ溜め込めるのかと思うと気が遠くなる。
 息子に自殺された主婦の記事を読み、誰もいないのを見計らってふた粒ほど涙を流してみせた。死んだ息子を全肯定の主婦は痛々しい。どっちもどっちなのだが、息子のほうをより一層どうかと思った。うだつの上がらない自分の責任を死でもって親に転嫁している。私と同じだ、と思った。
 「昼寝て夜起きる生活をどうにかしなさい。そんな生活サイクルの人と一緒に暮すのはもう充分。うんざりなの」極々自然に歪んだ笑みが洩れた。複雑に絡み合った紙縒りのようなものを、むんずと掴んで目の前に突き出されたみたいだ。忘れたふりをしていても些細なことまで繋がっているのよ。そう聴こえたのだから笑うしかない。
 「心の問題は幼児期のスキンシップ欠如が原因」何でも外部の所為にしないと自分が責められる。幼児期に戻ってやり直したり今更できないって知っている。だから絶対言ってやらない。否定も肯定もさせてやらない。ずっとずっと心の中で、憶えて責めて、それに縋るの。執拗に。
 
 
1月12日
 朝方、エクセルで作成した職務経歴がA4の紙に入りきらないという事実に震え、その勢いに任せてセブンイレブンへ肉まんを買いに行ったのだが、部屋に持ち込めば食にうるさい母に気づかれるやもしれんと戸口ではふはふ食い、さて、母の寝ている間にこのゴミをゴミ箱の奥底へ葬らなくてはと階段を登りはじめたその時、襖の威勢良く開かれた音にガッツリ中段で固まってしまった。
 パン屋本日休業なのに早起き過ぎ!と心中突っ込みを入れたところで、もう前にも後にも退けない中途半端な段の上で、一度階下を振り返ってみてもやっぱり気配を消したまま降りられる距離ではなくて、ああもう諦めた、このまま顔を合わせて「そんな保存料の入っているものなんかこそこそ買ってきて!」が主な小言を黙って聞こうではないか、と潔く決断を下した矢先、母に見つかる。
「何持ってきたの?」
「…肉まん。こっそり買い食い」
 キレるかも、そんで原材料についてとうとうと語られるかも、と薄目で見てたら袋を覗こうとするので、不思議に思いながら「もう食べちゃった」と言ったら「嫌な子」と言って笑った。は?食べたかったのかしらと拍子抜けした。ていうか肉まん買い食いしたくらいでこのビクつきようはありえない。小学生か。
 
 何とか一枚で収まるよう職歴を操作し、A4サイズな経歴書を作り上げたと思ったら、家にプリンターないの忘れていた。手書きする気は微塵も起きないので友達に「プリントさせて」と図々しく頼み、朝っぱらからモールまで車で迎えにきてもらう。
 ものの2分でプリントは終わり、友達が作ってくれたアイスミルクティ(紅茶とミルクがセパレートになっている。これが作れるようになるまでかなり苦労したらしい)を飲みながら、他愛のない話をした。
 今日の予定を訊くと鳥肌を観に行くと言う。一緒に行ける人がこんなに近くにいたのか、と目から鱗が落ちたり呆れたりした。やっぱりチケット買うべきだった。
 
 友達にまたモールで降ろしてもらう。まだ昼すぎだったので、一人アメリを観ることにした。もうダメ。どうしよ。なんでもかんでも泣ける。「息子の部屋」の予告でも広末でさえも、のべつ幕なしに泣ける。泣くもんかって意地が一人だと弛むのか。しかし照明がついたときの身の置場のなさったら。
 でも観ておいてよかった。なれなれみんな幸せになれって思った。
 
 
1月28日
 地元に戻ったことが色んな人にばれてる。恐るべし田舎のネットワーク。
 
 なんだかいちいち人に会うのがめんどくさい。明日はうっかり主婦の家へ行く約束をしてしまった。息子8歳は学校があるからいいとしても娘3歳が増えてる。どうしてくれよう。主婦もなかなか自己中な喋りの主婦で、全くこちらもどうしてくれよう。
 
 離婚しそうだと囁かれていた友達から「離婚することになった」と報告の電話。私の中で19歳だった男の子が電話の向こう、少し大人びた調子で喋っている。こんなにちゃんとしたこと考える人だっけってすごく不思議な気分になったけど「俺今年で25だよ」と言われ愕然。地元の時間はすごい勢いで流れている。私の時間は2年前で止まっているのに。ぽつぽつ話を聞きながら、私この人の奥さんと友達じゃなくてよかったなと思った。どっちも友達だったらきっとしんどい。「お前らと仕事してた時以来、楽しいと思えることってなかったのね」ってそれ切ない。それから「お前ら」って言い方にちょっとぐっときて「私はキミの奥さんと友達じゃないから、キミがしあわせならそれでいいよ」と勝手なことを言い放った。何かあったら相談に乗るよ、と言われたので、何かあったら相談するよ、と答えた。今は何もない。
 

 サミシイ?  そうでもないよ。
 
 
2月18日
 「ついている」と思う事柄の後ろには、10倍くらいの長さで「ついてない」が続いているような気がする。新宿は、癇癪をおこして泣き出したくなる街。
 早朝、ちょうど一週間のつもりで返したレンタルビデオに延長料金がついていたり、いつもは乗らない大江戸線で新宿へ出向いたら「新宿」という駅がなかったり、しょうがないから東新宿ってところで降りたら改札に「ここは新宿東口ではありません」と書いてあったり、その次の新宿西口で降りたらどうしても南口に辿りつけなくて9時発の高速バスに乗れなかったり、チケットがおじゃんになったり、古本屋で文庫本を20冊買っていたので荷物が異様に重かったり、しかも焼酎まで入ってて紙袋の取っ手が切れたり、次のバスまであと6時間あったりで、ほんとすれ違う人が振りかえるくらいの途方の暮れぶりだった。とんだ田舎娘だ。娘っつうか(略)全部自分の所為なのがいただけない。責任など放棄して地団太を踏めたらいいのに。
 次のバスのチケットを購入し、ロッカーへ乱暴に荷物を詰め込んで、身軽になったのに当てもなくとぼとぼ歩いていたら「蝶の舌」のポスターが目に映った。モーニングショーで一回だけ上映してるのは知っていたけど、ここでやってるって認識はなかった。上映開始は9時30分。右手首は9時33分。あまり考えず飛び込んだ。ついている、と思ってから溜息がでた。
 
 
2月20日
 お母さんに「あなたはこれから毎日歩いてモールへ行ったらいいんじゃない?」と、いかにも名案って感じで言われた。そうすれば昼間に余計な電気代や灯油代がかからなくて済む、とか。片道3キロ歩いてタダで済むと思っているのが不思議。絶対無理。喫茶店入るに決まってる。
 夕方からママレード作り。夏蜜柑を皮と実に分け、皮は全て同じ厚さに千切りする。包丁を持ったら右利きの人は左足を前に。実の方は薄皮を剥ぎ、果実と種に分けた。切った皮と果実をほぐして鍋に入れる。種は何に使うの?と訊くと、小鍋に入れて水でちょっと煮るとどろどろするのだと言う。ジャムのどろっとした感じはそのペクチンから出来るらしい。夏蜜柑4個は2時間かけて鍋におさまった。指がふやけた。
 

 
 
2月21日
「キミだから言うんだよ。他の人に言ったって、当たり前の言葉しか返ってこないの分かってるから。そうじゃないんだよなぁって思っちゃうから」
「でもさ、まともなのは他の人たちの言ってることだよ。モラルがあるのはさ。これが普通ではないと思う」
「うん、分かってるんだ。自分が間違ってるってことも」
 人が何かを伝えるとき、相手に道徳的な言葉を求めているとは思えない。自分は少なくてもそうだから、もしその人が黙って聞くこと以外に言葉を求めているのだとしたら、私は「正しい」より「リアル」を選ぶ。周りがリアリストばかりになったら、きっと私はモラリストになるよ。
 
 働きたいと思える仕事の求人を2つ見つけた。ひとつは時給1100円、もうひとつは時給800円。1100円のほうが楽な仕事。でもやりたい気持ちが大きいのは800円。最近、そのお店に勤めてる女の人が主人公の小説を読んだから。働きたいな、なんて憧れみたいに思う自分がなんだかおかしい。一昨日、横断歩道のない道路を横切るときに、猛スピードで目の前に迫る車を間一髪でよけた。それから、どうしてよけたりしたのだろう、と思った。思っていたのに。
 

甘くない。
瑞々しくて、少しだけ苦い。
 

発芽玄米 豚汁 卵焼き きんぴらごぼう ほうれん草のおひたし
 
 
2月25日
 暗がりの中で吐く息を煙草のけむりに似せてみたりしている。手袋の必要性なんて考えたこともなかったけど、もしかして必要だったんじゃないかしらと思って、でももう遅過ぎると思って、次の冬ねって思って、それから「手、つめたい」って誰かに驚かれたい、と思った。まだそんな気分になることもあんのかってちょっと呆気にとられて、そんなこと考えてるうちに「暑いから触んな」って言われる季節になるよ、と思ったけど、暑くなったからって触んなって言う人が近くにいるとは限らないわけで、限らないどころか「いる自分」っていうのが自分の中でものすごく希薄になっていて、枯れるということは、こういうことなのかなぁって煙草に火を点けた。
 
 
2月26日
 たとえば、一人で外をぼんやりと歩いているとき、眠ろうと枕に耳を押しつけ、足音のような鼓動を聴いているとき、そんな少しの時間に自分の中で流れるように続いていったものを、音声で再生できたらいいのに。忘れない。忘れるわけない。それなのに、ものすごく澄んでいたはずの流れは、弛み、澱み、途切れ、乾涸びてゆく。
 































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