log (2002.6 〜2002.9)
 
9月28日
 
 「いったいどうすればいいの?私が死ねばいいの!?」
 ほろ酔い気分のおばさんたちの声が響く夜の国際通り、私は小さな携帯電話に向かって、感情的に怒鳴った。周りなんか見えなかった。ここが外だなんてどうでもよかった。
 いつもそうだ。母と話せば決まって私たちは感情的になる。だから葉書でも書けばいいのよ。そう、母は言った。
 いろいろあんのよ。小さいことでもいろいろいろいろあんのよ。そんで私はそんな小さなことが抱えきれなくなって、これ見よがしに薬を飲むんだ。
「タカヒロがね、結婚するのよ」
 それを聴いたとき、真っ先に浮かんだ私の感情は、不快感と憤り。私は弟のしあわせすら願えない人間だった。
「何で結婚?無職なのに、何でそんなことができんの!?すごくいい加減じゃない。その結婚の意味がわかんない」
「それでもするって言ってるんだから、私はいいと思うわ。だからね、私たちも、お互いもうひとりひとりでやっていったらいいと思うのよ」
 何で今更そんなことを言う?みんな勝手にやっているじゃないか。ちゃんとひとりで立っていなくちゃ。過剰なくらい思ってんだよ。
「そんな状態で結婚だなんて、子供が出来たってことくらいしか考えられないじゃない」
 母はそれに答えなかった。ただ、ひとりでちゃんとやって、と私に繰り返すだけだ。人に迷惑をかけないで、と。悔しくて涙がこぼれそう。私はちゃんとやってないの?目を閉じてしまいたいことや、耳を塞ぎたくなること、それでも抗えない現実に押し潰されそうになること。ひとりで立ちたいと願う私より、無職でも結婚を決めた弟のほうが、あなたはえらいと言うのか。どうして?どうしてわかってくれないの?幼い頃から押さえ込み、蓄積され、遮られてた感情から、堰を切った言葉。
 
 泣いてしまいそうだ。一度気を緩めたら、とめどなく涙が出そうだ。先に結婚されるのが悔しいんじゃない。弟が遠くへ行ってしまう気がして悲しいのでもない。私はお母さんに「頑張ってるのね」って言われたかった。どうしても今、言ってほしかった。
 
「あんた結婚するんだってね。いつ?」
「10月10日くらいに入籍しようと思って」
「子供、出来たの?」
「うん、2ヶ月。写真見たよ。まださ、魚みたいなんだ。腹もちょっと出てきてて、あー やっぱ守っていくんだなぁって。彼女はもう寝てる。やっぱり疲れるみたいよ」
「彼女っていくつ?」
「19歳。7つも下」
「え、19て、私と10歳違うんだけど」
「あ、そっか。そうだね。でもまどかはお姉ちゃんと気合わなくもないと思うよ。老成した部分あるし、同世代とうまくやっていけない人だから。おとなしいんだけど、なんか人を引きつけるオーラがあるんだよね。俺、最近まで知らなかったんだけど、絵も上手いし、あとあれ。絶対音感がある」
「はは、私たち姉弟、そういうの弱いね。才能とか、先天的なもの」
「こっちは理屈の人間だから、そういうのって憧れんだよね」
「仕事、するの?」
「うん、頑張ろうと思ってる。俺、自分の為に頑張れない人間だから。まどかや子供に重い意味押し付けるつもりはないけど、こういうものがあったほうが、俺にとっていいような気がする。25歳まで遊んでたんだし、もう、充分でしょ」
「私さ、あんたが結婚するって聞いて、真っ先に浮かんだの、憤りだったよ。働いてる私より、結婚するあんたのほうが立派なの?って。ごめん」
「あー そうだよね。や、別にいいよ。それ、わかる気がする」
「彼女はあんたと結婚してしあわせなの?」
「んー、しあわせみたいよ」
 
 ひとりになって、ひとりになって、ふたりになって、さんにんになって。
 来月、弟は結婚する。来年、弟には子供が生まれる。私は友達とルームシェアを始め、やっと父と母は離婚をする。
 
 
9月25日
 
 そう、憶えて・・・あぁ、忘れる・・・。
 だからさぁ、見てたもの、あなたに話すよ。
 
                   中村一義 「スノーキング」
 
 
7月16日
 写真を撮るくらいしかできることがなくて。
 
 
7月8日
 小説とか芸術というのは、「ビョーキの産物」なのだ。
保坂和志 「小実昌さんのこと」
 
 本を読んでいると、ときどき自分の書いたものと同じような表現に出会う。今日は江國香織の「とろとろ」だった。同じこと書きたかったのに、きっと同じ「ビョーキ」なのに、彼女の表現は私をどこにいるかわからなくさせるし、読み終わってからあ〜あって、少し絶望する。あ〜あ、読むんじゃなかった。あ〜あ、同じ「ビョーキ」のはずなのに。
 
 
7月7日
 上野から浅草まで真っ直ぐ続くかっぱ商店街をさぱさぱとたなびく蛍光色の七夕飾り。すれ違う人の傍らには朝顔の鉢。入谷の朝顔まつりは明日まで。去年カメラを構えながら、突然朝顔を好きだと思った。ひなびた家屋に絡みつく蔦は、しがみついているのか奔放なのかわからなくて、自分もそんな風になれたらって。
 

 
 
7月6日
 鎌倉は、紫陽花と犬と茶屋と原付の似合う町。
 今日は薄曇でよかった。晴れていたら、きっとあの濃緑を直視できなかったから。七里ケ浜の住宅街から坂道を下ると、急に眼の前がひらけ、海へ出た。薄鼠色の空と青磁色の海は融け合って、境目がわからない。
 
 7月11日から1ヶ月間(の予定)長野で働くことに。居となるウィークリーマンションでPCが繋がるかどうかは不明。ネットカフェの存在も不明。
 
 
6月28日
 片付けることが常々苦手なのであるが、近年は感情のほうも分別せぬままとっ散らかすだけとっ散らかして、時間が経てば底のほうからどろりと腐って土になるから、地に足着いたよな顔をして、素知らぬふりで暮している。片してゆけば何か残るか。それとも何も残らないのか。
 
 
6月23日
 溜め息に妙な節がついているのが気になり出した。(中略)
 溜め息の節を文章に書き現わす事はむずかしいが、いつもきまって唇の間や鼻の穴を抜ける息が、知らぬ間に声になっているから、仮名で書くことは出来る。「ぷッくんたたたぽうぽ」と云うのである。一どきに飛び出そうとする大きな息を、そう云う風に区切って最後の「ぽうぽ」は一音低くなっている。
 その要領は、喉から口腔に詰まって来た息を先ず「ぷッ」と唇の間から漏らし、次に「くん」と鼻から抜き、まだ鼻を通っているうちに「たたた」と舌を打って調節し、最後に残っているのを「ぽうぽ」と二綴二息で吐き出してしまうのである。
内田百閨@「大瑠璃鳥」より
 
 電車の中、一度は躊躇したものの、どうしても試してみたい気持ちが押さえきれず、膝の文庫に顔を落とし要領を凝視しながら、ひっそり「ぷッくんたたたぽうぽ」と溜め息を吐いた。どうもうまくない。「ぽうぽ」のところまで息が続かず、さっぱり溜め息らしくならない。こんな風ではない、もっと小気味良いはずだ、と二三度繰り返したが、胸がひどく苦しいので、あとはここを読んでいる人に任せることにする。
 
 
6月20日
 「藤原は、血、大丈夫か?」
 ・・・血?そうか、いつもソファの上で寝腐ったりバルコニーで水着の体を太陽に晒したりしてるから忘れがちだけど、この人医者なんだっけ。
 「大丈夫です」
 気丈にそう答える以外、どんな選択肢があるというのか。
 青白い診察室には蒼白の男が真白なベットに静かに横たわっている。まるで足の折れた麒麟のように、しんと目を閉じ微かに打ち震えている。私は覚束ない手で袋を破り、冷やかな銀の器具を先生に差し向ける。ふつと皮膚は切られ、ふっくらとした血が溢れる。切れ目から細い金具を驚くほど深く刺し入れ、尋常じゃない様子で内をえぐる。透けるほど薄く白い皮膚から出し入れされる、赤に染まった銀の棒。男はひっそりとつめたい。細い糸一本で、辛うじて繋ぎとめられている。血はいいのだ。それよりも、張り詰められたその糸が、恐ろしかった。野蛮にえぐる銀の棒に、糸は今にも断ち切られそうに思えた。私はそこから動けずにいた。焦点の合わないぼんやりとした非日常の中で、絹のように光る張り詰めた糸を、ただじっと見つめていた。
 
 
6月11日
 一心不乱に黙々と、まっすぐまっすぐ家に向かって、たった一個しかない曲り角んとこで、いつもお母さんを思い出すんだ。そんで電話かけなきゃいけないんだったってぼんやりと視線で仄暗いマンションの壁つたいながら、でももう夜遅いし私忙しいしって言い訳して、お母さんのことすごく好きなのにお母さんの声聴くのなんだか怖くて、聴いても聴かなくても少しかなしくて、10年間ずっとこんなで、何度も言われたのに、あなたは自分にしか興味がないのねって、少し涙浮かべて諦観してるみたいに言われたのに、それでも私のこと好きでいてくれるって、それが当然って、傲慢に、縋るように思ってて、逃げながら何度も振りかえり、まだ手を伸ばしてくれてることを確かめる。ごめんなさい。私、お母さんに知られたくないことがまだたくさんある。ごめんなさい。電話を切った後は、鼻の奥がむずむずするのです。
 
 
6月9日
 
 散歩して
 
 
 びっくりしたり
 
 
 ハト眺めたり
 
 
 テキ屋やプロダンボーラーのおっちゃんと話したり
 
 
6月6日
 一ヶ月半経てば私だって8時間それなりに扱える。こまごまと動くことも出来るし、暇な時間も潰せる。数日前、することがなくて居た堪れなくなったり、やらなければいけないことを両手に抱え込んで優先順位がつけられなくなったりしてたことなんか嘘みたいに忘れて、バリバリとまではいかなくともパリパリ程度に仕事をこなす。こういうのを充実した日々って言うんだろうか。
 もともとうまいほうではなかった時間の使い方がますます下手になった。散歩と料理と美味しい店を嗅ぎ当てることも、遍く殊更下手になった。日々色濃くしてゆく枇杷の実も、路地や壁を彩る様々なタイルも、気持ちいいくらい私の内から滑り落ちてゆき、過剰に引っ掛かるものは、氷なしボタンを押したはずの自販機からガラガラと落ちてくる氷の小気味良い音だったり、200円入れたのにウンともスンとも言わない乾燥機だったり、夏の匂いと感じたそれは焼肉の匂いだったりで、その度に私は遣る瀬なくなったり傷ついたり俯いて涙を浮かべたくなったりする。
 日々が充実するにつれ、私の中身はからっぽになる。からっぽで、空気ばかりに満たされて、過呼吸みたいにうまく息が吸えない。
 































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