log (2002.10 〜 12)
 
12月11日
 
 相変わらず書きたいのか書きたくないのかよくわからない気分で。先月「tokyo.sora」を観た後は、あんなに書きたいことあったのにね。携帯に残したメモ以外は、みんな大気に溶けてっちゃったよ。温めてたら、溶けちゃった。
 世の中にはさーやっぱいるんだよね。表現に長けている人がさ。自分の感じたことを的確に言い表されてたりすると、自分が書かなくたって誰かが書いてくれるって思いがちだけど、だからやめるかっていえばそうじゃない。みんなナルシストだから、なんて今更鼻白んじゃうけど、みんな鏡見るでしょ?そういうこと。
 感じたこと100%表現なんて出来ない。これ大前提。自分は出来ない。けど、うまく書いてる人は出来てるなんて、そんなはずはない。難しい言葉たくさん知っていれば・・・なんてもう思わないし、今は嫉妬も感じない。
 血統がいいこと、私は前から知っている。嫌がる素振りを見せながら、どっぷり浸かっていることも。それを心の奥底で、結局鼻にかけてることも。「つまらない」その通りだ。蓋を開ければつまらない話。当たり前って傲慢に、そう言い切れる自分がいるんだ。だけど、才能は、ない。
 選民意識。あるよ、ぶっちゃけ。他の人とは違う。今でも思うよ、たまにね。わかってる。知っている。だからって、やらないことが利口だとは思わない。
 spore vol.2 "A Day In The Life" が春へ向けて動き出しました。私はまた小説を書くことになりました。コンセプトを聞いただけで、わくわくしている私がいます。次号はvol.1よりも面白いものになると断言できます。うまく書ける人はいくらだっている。難解な世界を描ける人も。だから、単純な言葉で、ありきたりな情景を。単純な言葉で、ありがちな心情を。
 
 
11月27日
 
 面倒になり書かなかったことや、躊躇して書けなかったことが溜まり過ぎて、どこから手をつけていいのかわからない。とにかく私はいつものごとく、また仕事に行けなくなっている。悪いのも無論自分だ。
 
 先月観た映画は、仕事をさぼってなんとなく出向いた先でなんとなくやっていた「海辺の家」だった。息子と一緒に海辺に家を建てる、という漠然としたあらすじしか知らなかったけど、上映の時期が遅かったことと、そこの映画館がサービスデーで900円だったことの合致で、本当になんとなく観る気になった。もう随分と時間が過ぎてしまったし、特に内容を書くつもりもないが、「生きる意味」とか「家族の絆」とか、そんなベタなアメリカ映画で私は泣いた。しかも、たったひとつの言葉によってだ。自分の泣けるキーワードが何なのか、このときやっと気づいた。
 
 午前5時45分。東京より北の場所で、ぽてんとバスから放り出された。ジャケット一枚羽織って出かけ、上野駅の時点で薄々気づいていたのだが、膝がガクガク震えるほど半端じゃなく寒い。震える指でコインを落とし買ったホットココアは、手を温もらせる前に冷めてしまった。
 閑散とした広い道路、ガラスケースに飾られたクリスマスツリー。ハロウィンが終わった途端にクリスマスのスイッチが入る東京の街を、白けた気分で眺めていたのだったが、薄青く染まり静まり返ったこの地方都市は、もうクリスマスと馴染んでいる。きっとこの場所は東京より早くクリスマスが来るし、年も越すのだ。
 唯一ひらいていたまんが喫茶の、しゅんしゅんと音を立てる石油ストーブの色に、鼻の奥が少し痛む。マッチ売りの少女とかフランダースの犬とかそんな世界だ。午前10時に引っ越しやが来るので、昨夜から実家に待機中の弟に午前7時半メールを打った。「おはよう。今から行くけどいい?」「いいよ。鍵あけとく」「父親いんの?」「いる。寝てるよ」
 そっとドアをあけおはようと声をかけると、眠くて不機嫌そうな弟が顔を出した。毛玉だらけで色褪せたナイキのジャージを着たその姿は、とても明日結婚式を挙げる人とは思えない。
「こんな人とよく結婚する気になるもんだ。ほんとこんなんでいいのかしら」
 そう言うと、弟はにへーっと笑った。
 すっかり黴臭くなった部屋のダンボールを開いては閉じ、時折中身を手に取ってみる。本と服とCDと、あっても仕方ないような思い出ばかり。19のときにつきあっていた人が筆ペンで書いた、よくわからないメモまで入っていて、慌てて箱を塞いだ。恋をしているときって何でこんなにみんな揃ってばかになるんだろう。陶酔って言葉が見え隠れしていて、素面のときには見れたもんじゃない。
 私が持ってきた「美人画報ハイパー」を勝手に読んでいるだけかと思っていた弟は、知らないうちにお茶を入れラーメンを作っていた。ラーメンを啜りながら今度はsporeを読み始めたので、居心地が悪くなりベランダでタバコを吸った。建物の裏にある殺風景な公園を上のほうから見下ろしてみると、赤や黄に紅葉した葉が陽を受けてきらきらと光っている。11月の中半だというのに、今年初めて紅葉を目にしただなんて、一体私はどこを見て暮していたんだろう。
「朱色の楽譜って、俺憶えてるよ」
 振り返るとsporeを読み終わった弟が、宙を見ていた。
「あ、ほんと?メトドローズって楽譜なんだけどね」
「あと月謝袋にパンダの絵、書いてなかった?」
「・・・憶えてない。あんまり楽しくなかったし」
「そっかぁ、俺そのことすごく憶えてるんだけどな」
「で、どうだった?」
「あーどうかね。そうね。まぁまぁなんじゃないの?」
「まぁまぁ、ですか」
「思ったよりはましだったよ」
「まし、でしたか」
「お姉ちゃん、文通なんかしてたの」
「ああ、してたね」
「そんでその手紙破いてトイレに流したの?」
「破いてトイレに流したのは中一のときにもらったラブレター」
「はは、ひどいね。とっておけばよかったのに」
「本当だよ。こんなに私に需要がないとは」
「お姉ちゃん面白く育ったね。何、その淡々とした投げやりな感じ」
「あーあ、人って何が楽しくて生きてんのかしらね」
「口調、お母さんにそっくりだね。うん、どうしたら楽しくなるのかねえ。どうしたい?ね、どうだったらいいと思う?どうしよっか」
「・・・何、その口調。何を導き出そうとしてんの。気持ち悪いなぁ」
「どうしましょう、ねえ」
「・・・彼氏がいれば楽しくなると思う」
「あーそうなんだよ。結局それだよね。そこに行きついちゃう。自分で何か変えようとしてもなかなか、さ」
 弟は悟ってるみたいに恋愛を肯定した。私はそんな自分を恥ずかしいと思っているのに、真顔で当然のように、肯定した。多分この人の彼女はやっかいな人なのだと思った。全く知らないけれど、きっとそうだ。
 午後4時。相変わらず広いここの空は群青で、白い月には薄い雲がかかっている。広いバスタブの中でゆっくりと溶けるミルク色のバスオイルみたいだ。
 
 式場につき、真っ先にロビーの端を見ると、藤原家の参列者が顔を揃えていた。みな私を見て少し安心したような表情をする。人見知りは遺伝ということがよくわかる光景。今まで黙っていたであろう祖父母も、急に調子を取り戻し喋り出す。
 正装した弟は、相も変わらずブサイクだったけど、横にいる純白のドレスを着た彼女は、弟にはもったいないくらいきれいだった。昨日の夜私は、弟が口にした少ないキーワードから、彼女のサイトを探し出した。そこにはものすごく痛々しくて、エキセントリックな彼女がいたのだけれど、私の想像していた彼女とあまり違わなかった。血筋なのだ。私たちはその血筋から、きっと逃れられない。
 讃美歌を歌い、聖書を唱える。私は無宗教の人間だが、幼稚園が教会だったせいか、随分と懐かしく思える。そして少しだけ信じてみてもいい気になる。しかし牧師の説教のあいだ、母はしきりに首をかしげていた。おかしいような、かなしいような、そんな気持ちで苦笑いした。
 牧師の話の中で強く耳に残ったものがある。祝祷を締めくくるその言葉に、無防備でいた私はうっかり泣いてしまうところだった。
 ― 「希望」と「信仰」と「愛」で、一番尊いのは、「愛」です
 ゆっくりと、そしてはっきりと、そう言い切った。重なるのは、昨日見た弟の悟ったみたいな声や表情。自分でも胡散臭いと思うけど、恥ずかしいとか格好悪いとかなんもかんもひっくるめて尚、私の心に響いてくるのは結局そんな言葉なのだ。私を泣かせるキーワード。それが「愛」ってことをもう認めるよ。
 
 
11月18日
 

 南へ
 
 
11月15日
 
 通ったことのない道は、長く、細く、くねくねと。近道なのか遠回りなのか、ただ曖昧に右へ左へ。それでも信じて見知らぬ向こうへ。見たことのあるような、ないような、あっちのような気がするな、いや、行き過ぎたからちょっとこっちか。心細くてななめに歩いて、ゆっくりと通り過ぎてく電信柱。どこ見上げても同じ町内。どこまで行っても4丁目。
 色んな人が流れてくのよ、駅の改札。少し離れて、壁にもたれて、そんで私ね、顔ばっか見てる。似てる人が多いな。あんな感じだったっけな。まさかね。まさか。どんな人だったっけ。一緒にどこに行ったっけ。目線はどこだったっけ。何で別れたんだっけ。今会ったら何て言うかな。あの人だったら何て言おうか。
 ・・・気持ち悪い。気持ち悪いや。こんなことばっかり考えてる私は気持ちが悪い。どこ見ても、何見ても、浮かぶことは全然今じゃないんだもの。家はどっちだ。家はあんのか?ほんとにここに、住んでましたっけ。どこをどう歩いたのやら、戻れませんよ?ぐんぐんぐん。迷ってる?迷ってない。振りかえらないでぐんぐんぐん。暗い道、細い道、そこを出たら真ん中にマンション。心細くて、不安になって、でもそこはかとなく信じてる。そんなしあわせとふしあわせがない交ぜの毎日。
 
 
11月8日
 
       
              近所の公園のパンダ
 
                    ↓
 
      
                 あわわわ
 
 
10月16日
 
 頭が「道を横切るときは左右なんか見んな」とか言い出すので薬を飲んだら、足元ばかりふわふわしやがる。喉の奥の鉛はびくともしないから、どこにも飛んでゆけない。頭ん中は見たくもないシーンばかりをスライド上映。差し出されたてのひら。肩越しの風景。おかげで客からお金を貰い損ね、自腹。そのときのこと、全く憶えていない。自覚しているのは瞼がうまく開けていないこと。
 部屋へ戻り、敷きっぱなしの布団の上で保坂和志の「猫に時間の流れる」を読む。ページの途中に指を挟み、枕に頬を押しつけて、(ふふん、しあわせ)と思う。次に目をあけると、夕方の6時だった。
 飲みかけのビールの缶。散乱したイカの足。堕落を絵に描いたような光景。どこのおやじの家ですか。もう、ほんっと嫌になる。自分のことが嫌になる。別に後悔することもないけど、思い残すこともないじゃありませんか。生に貪欲になれないのは、死を身近に感じていないから。私、ものすごく長生きする気がしますもん。
 拒食ごっこにそろそろ飽きたので、過食ごっこを始めよう。ラーメンを茹でていたら、一昨日の親子丼の残りが目についたので、それも一緒にぶち込む。スライスされた玉ねぎ、ご飯、卵。出来あがったものは「本格派ラーメン茶漬け」とでも言えばいいのか。男の料理、というか、人間が食べる代物じゃないよな、推定1000キロカロリー以上の物体。ぐちゃぐちゃな気持ちでぐちゃぐちゃなそれに箸をつけ、どうしてきれいなまま捨ててしまわなかったのだろうと思う。どうせ捨てるのなら。
 窓から顔を突き出し煙草を吸う。空にへばりつくのはオレンジ色のお月さん。また満月が来ますか。こんなまともな思考はいりませんので、ちいと気ぃでも狂わせてくれませんかね。
 
 
10月10日
 
 月曜日。泣けそうなのに、涙が出ない。鼻から息を抜く。目に意識を集中させる。それでも出ない。なんも出ない。
 火曜日。一回りして、大丈夫な気すらする。どうにもならなすぎて、どうでもよくなった。いつもより丁寧に笑ってみる。やさしい人になりたい、と思う。
 水曜日。新宿の真ん中、缶コーヒーで錠剤を流し込む。こうやって依存していくって、宗教みたいだと思った。「信じる」と「縋る」の境界線は?責任のない店で忙しく働くのはすごく素敵。接客業の何が好きって、その場限りのやさしさをダイレクトに出せるとこ。休憩なんかいらないのに。何が食べたいのか、何か食べたいのか、よくわからない。
 木曜日。職場のみんなが臨界点越えてる感じ。変な共同体。変な仲間意識。みんな、もうすぐばらばらになるのに。だからかな。だから、流されるしかないどろどろしたものの中で、不安なくせに半笑いでしきりに喋っているのかな。だって、笑わなきゃ。飲み込まれないように、笑わなきゃ。
 
 ひとりの部屋で、ビールを飲みながら、天井を見上げた。
 
 渚に雨が降るよ  夢のようだ
 覚めるならば  それは悪夢だ
 
 リピートされていたはずのキセルが、耳に、内に、届く。ああ、あたし、逃げたいんだなあ。はっきりと、そう思った。本当は強がりたくなんかなくて。本当は大丈夫なんかじゃなくて。笑っていないと立っていられないと思った。誰に伝えたらいいのかわからなくって、死にたい、じゃないけれど、ずっとココから消えてしまいたかった。声を出して泣くって、何年振りだろう。鼻がつまって息ができない。苦しくって嗚咽が変だ。何回も、何十回も廻る渚の国。
 
 渚で目が覚めたよ  ほらここから
 響いて止まないな  君の声だった
 
 洗面台の鏡に映る私は、自分でも感心するくらいかわいそうな顔をしていた。ものすごくか細くて、今にも消えそうで、擦り切れ過ぎて、きれいにすら見えた。珍しくってじっと見てたら何だかやっぱりお母さんに似ていて、それで少し、鏡に向かって笑った。
  































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