log (2003.5 〜7月)
 
7月22日
 
 「〜間の人身事故のため山手線の運行の目処はたっておりません。渋谷、品川方面へお急ぎの方は埼京線へお乗り換え下さい」
 12時間働き山手線のシートへ力なく凭れかかった私は、渋谷の埼京線ホームから歩くことを考えただけで動く気力もなく、どうせ急いでもいないのだからとバッグから取り出したsporeを読み出した。際限のない時間の中では活字を追うことができる。こうして待っていればいつかはこの電車も動き出すのだから。
 今日私はバイトを辞めることを決意した。管理者の一番偉い人にその理由を伝えると、その人は「今時珍しく純粋なんだね」と笑った。純粋?その言葉は前にも聞いたことがある。それを褒め言葉として捉えるには私は大人になりすぎているけれど、やはり褒め言葉として受け取ることにしよう。考え過ぎることが純粋なのならばそれでいい、と思った。
 渋谷駅のホームから一番近いハチ公口の改札からは出ず、南口から階段をくだりタクシーで帰途についた。タクシーの運転手は少し耳の遠いおじいさんで、私の行き先をもう一度聞きなおした後「電車が動いたみたいですね」と言った。私は曖昧に微笑みながら「よかったです」と答えた。おじいさんの決して丁寧とは言えない運転のタクシーで私は自分の家へ向かう。タバコを吸ってもいいかと訊くと、今度は一度で通じたらしくどうぞどうぞと窓を少し開けた。私は東京の夜風に吹かれながら生まれて初めてタクシーの中でタバコを吸った。シートに深く座って流れてゆく煙と景色を見ながら家に帰っているのだと思った。たった4年しか住んでいないこの街を私はホームタウンとしてもう見ている。仙台に私の居場所はもうなく、帰るところはここしかないのだと、そう強く思った。そして私は明日からも自分を生かしてゆかなければならない。私はここで生きるしかもう道は残されていない。人には家がありかえる場所がある。世田谷が私の家であり帰る場所なのだ。そう思いながら私はずっと窓の外を見ていた。
 
 
7月16日
 
 さて、何を書こうか。書くこともないときにキーボードを打つというのは極力避けてきたのだけど、何か書きたいようで何もない。私は毎日バイトへゆき打ちたくもない文字列を打ってそれで暮らしている。自分を生かすことってなんでこんなに面倒なのだろう。それでもバイト中はずっと頭が働いていて、休憩に毎日足を運ぶドトールでさえぼんやりできない。ただ時計を睨んであと何分…あと何分…と思っているだけだ。常に心には焦燥感があって、だけど形がはっきりしないので具合が悪い。原因を究明する気も起きないのだから自業自得なのだが。何か不満だと言うのだ。これ以上何を望む。もうこれは自ら不幸になりたがってるとしか思えない。不幸じゃないのが物足りないのだ。
 
 
7月1日
 
 明日の夜中、夢を乗せたバスで京都へ旅立ちます。帰郷を除けば約3年振りの旅行で、るるぶなんか買ってページの端を折ったり3日分の服を用意したり3日分の薬を用意したり爪をオレンジに塗ってみたり薬指にはめた指輪を眺めてみたり、とにかくそわそわしています。
「永遠の家出少女」
 最近もらったコピーなんですが、これは結構的を得ているんじゃないかと思います。私は永遠に家出をしているような、地に足がついてないような、そんな感じで10年以上生活してきて、もちろん幼い頃思い描いていた30歳とは程遠い自分になったわけだけど、それはそれで悪くない30歳なのかもしれません。色んなことをやり尽くして、もうあとはないだろうと思っていても、人生まだまだ踏み入っていない領域はたくさんあって、まぁそろそろ穏やかには暮らしたいんですが、そうさせてくれない運命みたいな柵があるような気もします。
 永遠にこうなのかもしれない。そう考えるのは少し怖いですけど、とりあえず今の私は4日前の私と大差なく、京都に行くことによって何かが変わるんじゃないか、なんてことも考えてはおらず、これからもしばらくは「永遠の家出少女」のような生活をしているんじゃないかと思います。そして今はこれでいいんじゃないかと、そう思うのです。
 
 
6月21日
 
 昔から感じていたけれどセックスには匂いがあると思う。私はそれに嫌悪とやすらぎを同時に憶える。いつからセックスでしか確かめられなくなったのだろう。他にも方法はあるはずだ。あったはずだし今だってあるのだ。ベッドの上で囁く「好き」という言葉に一体どのくらいの真実が含まれてるというのだ。
 今月いっぱいで同居人が変わる。次の同居人は男の人だ。私の生活は何ひとつ変わらないと思い込んでいるけど、それは暮らしてみなければわからない。お互いに恋人がいるのに同棲に踏み切らないおかしなシェアリング生活だけど、同棲はもういらない。日常的にセックスの匂いのする部屋、自分の身体から発せられる性の匂いはきっと私の気を滅入らせる。
 
 
6月10日
 
 髪を切ったくらいでリセットされた気分になっているけれど、本質的には何も変わってない。下北の喫茶店では「僕のスウィング」のサントラがかかっていて、その音とコーヒーの香りに包まれながら共有している記憶を思い起こした。こんなにぼんやりとするのは久しぶりだから、徹底的にぼんやりしよう。考えれば答えが出ることってそんなにたくさんないと思うの。音を指で辿りながら私は何もかも中途半端だと思ったけれど、そこから脱する気力はなくて、向上心の欠片もなくて、どうしてどうにかしなくっちゃって考えなきゃいけないのか、わからないまま2杯目のコーヒーに口をつける。ぼんやりとしたい。何も考えたくない。多分ここはそれが許される空間だから、タバコの煙を目で追って、流れる音を指で追って、何も考えないようにとそればかり考えて。
 
今日の購入
冬野さほ 「まよなか」
松本大洋 「吾3」
南Q太 「こどものあそび」
金井美恵子 「ピクニック、その他の短篇」
 
 
6月2日
 
 昨日「春の惑い」を観た。リメイク版とは知らなかったが、先月観た「過去のない男」で予告を観たときから観ようと決めていた。平たく言えば男女の三角関係の話だ。きれいな映像で上品だったけれども、女ひとり、男ふたりの三角関係の話だ。観る前から予想はついていたが、今の自分には居た堪れない話だった。ただ私が感情移入したのは妻の玉紋ではなく旦那の礼言のほうだ。
礼言「玉紋のことだ。君がいれば喜ぶ」
志忱「彼女を信じてくれ。悪いのは僕だ」
礼言「もう1日いてくれ。玉紋が喜ぶ。その様子を見ると僕も嬉しいんだ」
 その後礼言は睡眠薬を飲み、自殺をはかる。愛する人を喜ばせられない自分。脅迫じみた愛情。人を楽しい気分にしてあげることのできない私。誰も支えられないくらいの、脅迫じみた愛情。
 私はここ一ヶ月、あまりいいとは言えない精神状態だった。今まで泣かずに溜めてきた涙を使い果たすくらいに泣いたり、なるべく使わないようにと心がけていた狂言を吐いたり、一気に押し寄せてきた環境の変化のひとつひとつを解決するのが面倒なあまり、死ぬ方法を具体的に考えたり、とにかく甘えたどうしようもない一ヶ月だった。頻度の多くなるパニックの発作に、うまくコントロールできない自分の感情に、ひとりの部屋で碌なことを考えない非生産的な自分に、本当に辟易していた。軽蔑されてもいい。私は死んでしまいたかった。最悪な逃げ方で全てを放棄したかった。
 
 私のことを憎む表情を久しぶりに見た。もちろんあまり気持ちのいいものではないけれど、「憎む」という感情を10年前に家に置き、かわりに「諦め」を持ってきた私はキミの表情を見て、懐かしいなとぼんやり思った。とても場違いな感情だということくらいは認識していたけど、とにかくその表情をずっと私は忘れないだろう。憎しみを踏み台にして飛ぶキミを私はかなしいと思うけど、それでも少し羨ましかった。でもこんなことを言ったらキミはまた怒るだろうな。言いたかったことは随分とあったよ。だけど全ては言い訳になるから。キミの思った通りでいい。そして私はその場で絶対に泣かないと、そのことばかり念じていた。
 
「この先どうするんだよ。どんな自分になりたいんだよ」
 その言葉、前にも聞いたことがあるな。3年前、全く同じことを言った人がいたよ。そのとき私は答えられなかった。そして、今でも答えられない。私の願いはあまりにもばかばかしすぎて、とても人を目の前にして言える代物ではないから。
 私は笑って生きたいだけです。本当にただ、それだけです。それなのに、そんなこともできないんです。こんな自分は嫌いです。私だってこんな風になりたいわけじゃないんです。そんな私に疲れ、呆れて去ってゆく人を何人も見ました。もう見たくないのに。どうして最低限のことができないの?それを誰かの所為にできる?努力すれば治りますか?こんな人間が何かを欲しがること自体ばかげてる。自分のこともうまく生かせられない、こんな自分に何が望める?
 金曜に病院へ行こう。きちんと自分を生かせられる処方をしてもらおう。そしてそれから髪を切ろう。私はこんな小さなことにまだ希望を託してる。
 
 
5月1日
 
 恋人が変わった。といっても恋人の人格が豹変したわけではなく、恋人とこれから呼ぶ人自体が変わったのだ。
 今年は私にとっておかしな年で、年明け早々3人からつきあいたい旨を打ち明けられた。私は特にもてる人間ではなかったし、特別魅力があるわけでもない。それなのに、今年の年明けは何かがおかしかった。大きな組織が私を操ろうとしているのかと思うくらい、おかしいと思った。それでも最初にそれを言葉にした、この間まで恋人と呼んでいた人に自分が惹かれていることは明白であったから、自分の気持ちを信じてつきあってきた。正直私はその人とつきあっている間、別れることを想像できなかった。
 今までの私は別れることの恐怖に、つきい始めたときですら別れるときのことを考えていた。急に手を離され傷つくよりも、頭の中でそのときを想定したほうがショックは軽いと思いながら、自ら不幸の糸を手繰り寄せていたのだ。
 だけれど恋人と呼んでいた人とのつきあいは全然違った。私は考えるのをやめ、本能で接した。言いたいときに好きと言い、触れたいときに触れ、逢いたいときに逢いたいと言った。彼はそんな私をきちんと受けとめ、きちんと真摯に返してくれた。今まで私の臆病のために我慢していたもの全てを、彼は受けとめてくれたのだ。その人の手を私が自ら離すなんて、考えもしなかった。どうして離さなければいけないのか、自分で決めたくせにわからないと思った。そして何度も泣き、何度も好きと言った。こんなに泣いたのは7年振りくらいだ。7年間も私は自分の感情を押し殺していたのだ。
 じゃあ、何故手を離したのか。それはここに記さない。自分の性別からくるあざとさ、自分が幼い頃から欲っしていたもの、色んなものが絡み合って、うまく説明できない。とにかく「恋人」と呼ぶ人が変わった。その人が本能で接した私を受けとめられるかなんてわからないけれど、押し殺すのはもうやめようと思う。別れることは受けとめられなかったときに初めて考えればいいのだ。私は素直に笑ったり泣いたり触れたりしたかったのだと、29にしてやっとわかった。そして甘いと言われようが、「恋愛と結婚は同じもの」だと未だに信じていたい。
 
 































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