log (2003.9 〜12月)
 
12月31日
 
 昨日30日はCOUNTDOWN JAPANで幕張メッセまで。13時開演なのに15時半頃着いてGOING UNDER GROUNDを見逃しましたが、目的のSyrup16gは前のほうで見てきました。Vo.の五十嵐くんは徹底してMCをしなかったけど、その潔さがよかった。速い曲が3曲続いて恋人は酸欠起こして倒れる気持ちがわかった、と言ってました。
 それからカバブとか食べてなんとなくZAZEN BOYSを見ようかと思って最初は後ろから余裕かまして見てたんだけど、向井酒飲んでるしべらべら喋るしギターリフかっこよすぎて途中から前行きました。
 その後は少し寝て最後のくるり。わたしはPVの直立不動の岸田くんしか見たことなかったから、あんなにうなうなぐねぐねしてると思わなかった。そしてあんなに萌え顔だとは思わなかった。
 今年はわたしにとって色んなことがあった年だったけれども、最後に恋人と手を繋いでぴょんぴょん跳ねながら素晴らしい音が聴けてよかったです。身体の中に響く音を久しぶりに聴きました。
 今年は目まぐるしかった。本当に目まぐるしかった。だけど結局みんな落ち着くところに落ち着いたんだと思います。来年もわたしたちと少ない大切な人たちにとって良い年でありますように。空はこの上。天国はその上。そんなの信じないね。だけど何かにわたしは願います。
 
 
12月26日
 
 渋谷の店でクリスマスのディナーを食べながら、恋人はわたしの書くことがリアルじゃないといった。嘘ばかりの欺瞞に満ちたヒロイックで自分都合の文章。
 わたしは京都へひとりでは行かなかった。わたしは仙台へひとりでは行かなかった。わたしは6月から8月の間二股をかけていた。そしてふたつの旅行を別の人と行った。8月の夜、わたしは投げやりになって全てを失ってとてもヒロイックに死んでしまおうと思った。それはとても甘美なストーリーだった。全てをめちゃくちゃにして他人を深く傷つけたとしても。
 そしてひとりはわたしの元から去り、今の恋人がわたしの元へ残った。
 恋人は前の恋人の影を恐れながら生きていた。そしてわたしと前の恋人がコンタクトを取るたびに癇癪を起こした。当たり前のことかもしれない。だけどわたしはそれが浮気だとは思わなかった。
「もう耐えられない」
 何度も聞いたことのある言葉。お前の欺瞞に満ちたヒロイックなストーリーには辟易だと。クリスマスのディナーでわたしは別れを告げられた。
 全てをなくしてしまいましょう。わたしはもしかしたらこの時を待っていたのかもしれない。全てをなくしてしまいましょう。そうすればわたしは何も後悔なく死ねる。わたしは恋人にお金を借りていた。下世話な話をすれば、だ。恋人は「今すぐに返してくれ」と言った。もちろんわたしにそんなお金はなかった。
 家に帰り、わたしは日本酒の一升瓶を片手に部屋へ入った。それから薬を茶碗の中へ持っているだけ入れた。初めてわたしは致死量に至る薬を日本酒で流し込んだ。なるべく速やかに。後悔が頭をもたげる前に。
「わたしが死んだら500万入るからそこからお金をとってよ」
 頭から布団をかぶっていた恋人の布団を引き剥がし、わたしは言い捨てた。
「金なんかもういいよ」
 その言葉を背に「もう遅いよ」と言い放ってわたしは部屋へ戻った。すぐに恋人はわたしの部屋へ来た。そして何百錠という薬の残骸を見て119番した。救急車に乗るのは二度目だった。
 わたしはひとりにだけメールを打っていた。遺書も何も残さなかったが、ひとりにだけ知ってもらいたかった。迷惑など顧みず。
 病院の中まで歩いて入った。わたしは点滴を打たれ胃洗浄をされた。胃洗浄をするくらいなら死んだほうがましだと聞いていたが、それほど苦しくもなかった。ただ痣ができるくらい胃を押され、ごぼごぼと何かが出てくる音だけが聞こえた。そして鼻からチューブを通され、点滴を打たれたまま入院することになった。そしてうちの母が引っ越していたことをそこで初めて知った。
 次の日の夜に「もう少し入院していますか?」と聞かれたわたしは「退院します」と答えた。外では恋人が待っていた。
 色々な人に迷惑をかけた。恋人、友達、そして両方の親にまで。退院した夜に恋人の両親が家に来た。わたしはぼんやりとアイスを食べていた。新しくなった母親の番号に電話をした。母は少し笑って「何やってんのよ」と言った。
 全てをなくしたら死んでしまいましょう。わたしの欺瞞に満ちたヒロイックなストーリー。嘘ばかりでリアリティのない言葉たち。
 
 
12月15日
 
 昨日の恋人は壊れそうになっていた。昨日の恋人は消えてしまいそうに見えた。わたしはただ抱きしめるだけで。わたしはただ恋人を苦しめる人を憎んだ。
 どうして平穏な日曜を過ごさせてくれない?どうしてお前がそんなことを言う資格があるんだ?あいつはうちの住所を知っている。早くうちまで来ればいい。そうしたらわたしはなんの躊躇もなく警察へ連絡するのに。
 お前のやっていることは脅迫だ。どんなに口がうまくても、どんなに言葉を捲し立てようと、わたしはお前に勝つ自信があるよ。
 ただ抱きしめるしかできないなんて。そんな無能な自分が嫌なんだ。きみの為にわたしは何かがしたいんだ。きみを苦しめるものを取り払いたいんだ。
 
 
12月5日
 
 どうも。2ちゃんで「死にそうな管理人」と書かれていた藤原です。こんなに肥えてどこが死にそうなんだかさっぱりわかりません。最近のわたしは仕事もせずに、だからせめて家事くらいはと洗濯、食器洗い、買い物、夕飯の支度、恋人の昼食用おにぎり作りの毎日です。花鳥風月もなにもあったもんじゃありません。そんなことよりもおにぎりの具!本当はいくらとか筋子とかたらことか入れてあげたいんですけども、なんの為の節制生活なのか本末転倒なので昆布、シーチキンマヨネーズ、梅干の3本立てで今日もいってらっしゃい。おにぎりって一体なにが入ってましたっけ。そのうちタッパに白米つめてお茶漬けの素とか入れそうな勢いです。昨日の夜、恋人が「今日のおにぎり美味しかったよ」と言いましたが、(炊き込み御飯だったじゃねーかよ!)という突っ込みはあえてしませんでした。でもおかずまで要求しない恋人はやっぱりやさしいんでしょうね。今、食卓の上ではちいさなクリーム色のバラが咲いてます。
 
 
11月21日
 
 寝ているとき、わたしは夢と現実の狭間を行き来する。特に最近は夢と現実の境界線が曖昧になって、わたしは手を伸ばし、隣の体温を確かめる。恋人は眠っていてもしっかりとわたしを受け入れ、ゆっくりとわたしを現実に戻してくれる。
 ねぇ、不安になったりもうしたくないんだ。何かが足りないわたしたちは一生懸命それを補おうとする。「好き」と口にした言葉に「好きだよ」と返ってくる安心感。家を出る前の抱擁、キス、抱擁。ねぇ、不安になったり本当にもうしたくないんだ。あなたはわたしの傍にいてくれる?居続けてくれる?わたしを現実へ何度でも呼び戻して。
 
 
10月14日
 
 雨が晴れて雲間から光が見えたので世田谷233に寄り三茶まで二人で歩いた。世田谷線の鈍色の線路はいつ見てもいい光景で、わたしはカメラを持っていくつか写真を撮った。手を繋いで隣を歩くことが普通になった。わたしより20cm高い腰や肩や目線が普段になった。喫茶店でお茶を飲み、恋人の癖に少し笑った。しあわせを見失わないようにしようと思った。平凡なしあわせをわたしたちは望んでいる。
 
 
10月2日
 
「別れようか」
 そう言うとちからはほっとしたように「そうだね」と答えた。久しぶりに正面から見る顔は明らかに疲れていて、わたしたちは鏡を見ているようだった。もう元に戻らないことは何ヶ月も前からお互いわかっていた。だけれどわたしはまだちからのことが好きで、ちからは自分の事情で横浜の空の下へ連れてきてしまったわたしへの責任感で、わたしたちはどちらからもその言葉を言い出せなかった。いや、好きだったかどうかなんて今となってはわからない。浮気をされていたことを知っていながら、向こうから別れを告げられないことを知っていたわたしは意地になっていたのかもしれない。とにかくわたしたちは言葉をかわさずともお互いを傷つけあっていた。言葉などなくとも充分傷つけることはできた。
「キスしてもいい?」
 そう訊くとちからは少し笑って「いいよ」と答えた。なんの味もしないわたしたちのキスはただ懐かしいだけだった。新しい感情はなにも生まれてこなかった。涙も出てはこなかった。
 わたしたちはとても疲れていた。そして自分を保つことで精一杯だった。結婚の約束をしていたし、親の承認の必要な婚約契約書も書いていたけれど、これが婚約破棄だとは思わなかった。わたしたちはただつきあって同意の上で別れる。それだけだった。もう4年以上も前の話だ。
 わたしはまだ東京の空の下にいる。ちからも多分いるのだろう。わたしたちは別れてから一度も会っていない。会いたいとも思わない。どうしてだろう。確かにわたしたちは好きあっていた。それは憎しみに変わるんだろうか。少なくともわたしは憎んでいるつもりはない。それなのに、どうしてこういう結末をむかえるのだろう。ゆっくりと降下した感情がそうさせたのか。
 ちからとつきあってから7年が経つ。それでもわたしはときどき彼のことを思い出す。恋を繰り返し、似たシチュエーションから何度も思い出している。わたしはなにも変わっていないのだろうか。もう変わることなんてできないのだろうか。
 
 
9月30日
 
 わたしの言葉なんて何もない。とにかくみんなSyrup16gを聴け。
 http://www.rebels.jp/syrup16g/
 
 
 9月9日
 
 たすけてなんて誰に言っているの?
 
 心療内科に通い始めて1年が経とうとしている。信じなければいけないことは承知の上で、病院に不信感を抱くわけでもなく、どちらかといえば自分を信じられなくなってきている。
 何か変わった?何が変わった?自分を生かすことがもっと下手になっただけじゃない?
 理解してほしいの。このままの自分を受け入れてほしいの。全部演技なら良かった。欺瞞に満ちた演技だったのなら。情けをこうてるの。かわいそうって、そう言われたいの。いつまで経っても頼りのない、世間ばなれしているそんなわたしを受けとめてほしいの。
 
 ねぇ、たすけてなんて誰に言っているの?
  































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