log (2004.1 〜3月)
 
3月30日
 
 暇だからだらだらと書こう。何の脈絡もなくだらだらと書こう。
 10日くらい前死にたくてどうしようもなかったのでお母さんに電話した。「ねぇ、今死にたいんだけどさぁ、死にたくなったことある?」と訊いたら「そんなのしょっちゅう思ってるわよ」と返ってきた。「だけどひとりじゃなかなか勇気が出ないじゃない?だから心中じゃないとダメよねぇ。誰かとえいってやらないと」なんてむしろ後押しするようなことを言って全然励まそうとしない。ああ、わたしの母親だわ、と思いながら電話を切った。
 この間久しぶりに元同居人が家へ来た。今何の薬をもらっているのか訊かれたので「〜とラボナ」と答えたら「よくそんなの出されたな、死ぬじゃん」と言われた。そうかぁ、死ねるのかぁ、と思ったら気が楽になった。
 元同居人からの結婚報告葉書。南の島でふたりとも白いドレスとタキシードを着てしあわせそうに笑っている写真。わたしのほしいものがそこにはあった。手を伸ばしても届かない、遠い遠いもの。
 ネットの人と飲んだ。一度は外で、一度は家で。他人と呑むお酒は美味しい。そしてわたしは恋人のお金で暮らしている。いなくなる前に自由にさせてあげたい。それは本音だ。言われる前に自分から。せめて自分から。わたしは欲しいと泣いてしまうから。その遠いものを望んでしまうから。今のわたしには手に入るはずもない、遥かなものが見えるような気がしてしまうから。
 
 
3月25日
 
 Syrup16gのシングル「リアル」を聴いている。BUMPが売れているのだからSyrupが売れてもおかしくないんだけどな、と思うけど一緒にされても困るようなバンド。わたしは音楽うんぬんと恋人のようにうんちくを語れないのでもどかしいが、文字の摂取の絶対量が違うのでしょうがない。恋人が書いた「アンロジカルで、混沌として、不可解なもの。」という最初の一文で、わたしは躓いてしまった。アンロジカル?・・・非論理的ってことか。恋人はカタカナ英語をよく使う。わたしはそこですぐに躓く。そのかわりわたしは難しい漢字をよく使う。時々自分でも読めない。
 「ジョゼと虎と魚たち」のサントラは聴いて映画が観たくなった。一曲目の「ジョゼのテーマ」はくるりが去年の年末のCOUNTDOWN JAPAN2日目の一曲目でやったのだがすごくかっこよかった。ドラムスを入れ替えて良くなったというのも皮肉だが、クリストファー・マグワイアのドラムで一層前進したと思う。「アンテナ」もよかった。初回版は佐内正史の写真がきれいだ。
 それからスパングルコールリリーライン。聴き流していると英語で歌われているのかと思うが歌詞カードを見たら全部日本語だった。そう聴こえるようにわざと作っているところが憎らしい。このバンドのインタビューが今度のSpore Vol.3に載ります。って言ってよかったのかな?
 5月には渋公でSyrupのライヴがある。7月はフジロック。久しぶりに音楽に触れて衝動が修まらない。
 
 
 
命によって 俺は壊れた
いつかは終わる そんな恐怖に
でも命によって 俺は救われた
いつかは終わる それ自体が希望
 
お前にこの一生を捧げよう
必要なくなって 見捨てられるまで
許しがたいまで 腐り切った
魂は水で洗い流して
 
圧倒的な存在感
生身の感情の表現
すべての言葉しっぽ巻いて
逃げ出すほどのリアル
 
遠いよ みんな遠いよ
本当のリアルはここにある
 
必死なのはかっこ悪くねえ
むしろその逆
笑っていた
感じられること
すべてを喜びに変える
              Syrup16g 「リアル」
 
 
3月16日
 
 死にたい、死にたい、死にたい、死にたい・・・口に出して呟いている。声にすればするほどそれは明確になってゆくような気がする。早く死ねばいいのにな。こんな醜いわたしは。鏡を見るたびに愕然とするんだ。自分を映すもの全てを端から壊してゆきたい。あなたもわたしのことなんかもう見ないで。すごく苦しいんだ。ドロップアウトはあってもリセットはないよ。何に希望をもって生きてる?絶望の果てには希望がある?じゃあまだこの先は続くんだね。だけどもう歩きたくないよ。ちっとも前に進まないんだ。この文章と同じで、ちっとも前に進まないんだ。誰も止めないよ。誰もね。勝手に死ねよ。わたしの欲しいものなんか手に入らないのだから。壊れてゆく過程を見るのももうたくさんだ。また作り直す気力なんてないよ。
 
 
3月9日
 
 昨日一ヶ月ぶりに(本当は2週間に一度行かなければいけないのだ)クリニックに行った。襟まであるコートを着、帽子を目深くかぶってノーメークのまま行ってやった。唇にはまたヘルペスができていてかさかさぼろぼろ。弱っている証拠。先生は鬱の重いやつだねぇ、とかなんとか言って今まで愛着まででていたアモキサンという薬を切ってトフラニールに移行することになった。それからテトラミドが20ミリから30ミリに。抑鬱剤、抑鬱剤。ノルアドレナリンを出してくれる薬。睡眠薬は今まで6種類も飲んでいたのを3種類に減らして。家に帰って早速トフラニールを飲むとなんだか少しやれそうな気分。洗濯物を干して、洗い物をして、米を研いで、夕食の準備をして、明日のお弁当の用意をして完璧。こう毎日完璧に過ごせたらトフラニール様様なのだけど。
 ついでに郵便局へ行って小説を応募。新潮社新人賞なんかにも応募してしまった。なんて怖いもの知らず。審査員に川上弘美、保坂和志、町田康なんかもいて、読んでくれたらそれだけでも儲けものだ。そして吉田修一の「東京湾景」を読み終えてしまった。まだ川上弘美の「光ってみえるもの、あれは」と「龍宮」を読んでいないだけましか。吉田修一に自分の書いたものを読んでもらいたくなった。sporeのVol.1で書いた「そうそう」という作品。あの小説には吉田修一の「パレード」で書かれていた一文を引用させてもらっている。吉田修一の作品は東京の色んな街がクローズアップされていて、親近感を憶える。それから最近の作品はまだ始まらない男女の関係を描くことに徹しているように思える。良く言えば希望のもてるラスト。芥川賞を境に丸くなったことも否めないが、わたしはまだ吉田修一の作品が好きだ。
 それから興味のない人には全く無理益な話。spore Vol.3は只今製作中です。インターネットで言うと今回の号もスヰスの川井さんが載ります。それから7ページほど穴があいたのでわたしのエッセイが載ることになりました。まぁずるい載り方です。今回のコンセプトは「meet in your soul」出会いです。いつ発行できるのかはまだ未定ですが、やっぱりたくさんの人に読んでもらいたいな、と思っています。こうご期待を。
 
 
3月5日
 
 大切な人をひとりなくした。大切といってもそれはわたしの一方的な好意であり、その人にとってはさほどのものではなかった事実を突きつけられた。わたしは面倒な人間であり、面倒な人間に関わりたいと思うほど世の中の人々はやさしくない。
 一昨日仕事から帰ってきた恋人は「調子が悪いの?」と訊いた。そのあと「別れたほうがいい?」と重ねて尋ねた。それを聞いたとき、わたしはほんの少しほっとしたんだ。わたしのような面倒な人間はそろそろ飽きられてもいい頃合だったし、その言葉を聞いてクリニックへゆくことができそうな気がした。全てをなくして全てを飲み干そう。そう思ったんだ。わたしは面倒な人間なので、ひとり、またひとりとわたしの元から去ってゆく。いつまでもわたしの傍にはいてくれない。恋人もそろそろ去ってもいい頃だ。「別れようか」そう言うと「別れてどうするんだよ」と問われた。そんなの死ぬに決まってるじゃないか。心の中でそう呟いた。
 シンクには青い弁当箱が置いてあった。恋人が自ら作って持っていった弁当だ。わたしには何も出来ない。かわいそうな恋人。わたしと出逢ってしまった。かわいそうな恋人。こんなはずじゃなかったのにと、きっと後悔している。恋人はまだ呪縛から逃れられない。わたしが泣けば「ごめんね」と繰り返す。何故謝る?あなたは完璧だった。「わたしのことが好き?」と問えば「好きだよ」と答える。こんなわたしを?こんな、非生産的なわたしを?わたしは嫌だ。こんな面倒な人間とは関わりたくない。わたしもわたしの元から去れればいいのに。もっと明朗で活発で明るい、そんな人間になれたらいいのに。
 料理と洗い物。わたしの大嫌いなもの。洗濯は好きだ。全部洗濯機に入れてぐるぐると回って出来ないものか。恋人はいつになったらわたしから逃れられるのか。わたしはいつ笑えるのか。今、恋人はいない。出張で明日帰ってくる。わたしは26時間布団の中に包まっている。睡眠薬はもう切れた。明日こそは。明日こそはクリニックへゆけるだろうか。死ぬためではなく生きるための薬を処方してもらえるだろうか。そして疲れた恋人に料理を。食材のいっぱい入った料理を。
 
 
3月3日
 
 せっかく前向きなことを先日書いたのに、3月に入った途端、わたしは何もやる気が失せてしまった。梅雨みたいなものだ。時々そういう時期がやってくる。
 小説の応募はする。恥をかなぐり捨ててでもする。だけどやれそうなことはそれくらい。あとは全て放棄したい。ほとんど全てを放棄しているのにまだわたしはやりたくないことがたくさんある。ちょっとしたことだ。ほんの10分頑張れば出来ること。それが今のわたしにはできない。
 死にたいなあ。いつも心に浮かんだり沈んだりする。死にたいなあ。声に出してみると、それは戯言で。
 何もしたくないんだ。何もね。郵便局と銀行。そこへ行っただけでわたしは疲れてしまった。深い眠りをくれませんか?数十分ごとに目の醒めるものではなく。薬が効きません。だけどクリニックへゆく気力もない。
 わたしはアル中ですか?自発的にすることは飲酒と喫煙。
「今度泥酔したら別れる」
 それでもいいかなあ。今のわたしならそう思うでしょう。
 ちからが怖いんです。わたしを東京の空の下へ連れてきた人。ちからはもういいんです。それなのに毎日夢にみる。
 先生、うまく生きられないんです。そう言えば、きっともっと強い薬を処方されるのですね。先生、わたしはダメな人間ですか?そう言えばこれは病気のせいだからと答えてくれるのですね。
 笑う力を失ってしまいました。戯言ばかり考えています。お金を稼ぐ人は立派ですね。本当にそう思います。願わくば、入院させてくれませんか?何も考えずぼんやりと天井を見ていたいのです。普通に暮らせるくせに、そんなことを願うのです。前向きな言葉。それはどこから出てくるものですか。のうのうと生きているくせに。わたしはどうしたいのですか。
 先生、薬が足りません。たくさんたくさん欲しいんです。二度と目覚めないくらい、たくさん欲しいんです。
 
 
2月29日
 
 昨日まで今年が閏年なんて気づかなかった。3月だーなんて思ってた。
 やりたいことがいっぱいある人はいいな、わたしには何にもないから、なんてずっとずっと思ってきたけど、何か、とりあえず何かしてみようと思った。例えそれが人に仕向けられたことでも。
 来月から編集のワークショップへ通うことにした。まだ申し込みの予約しかしていないし、わたしのやりたいことが編集なわけじゃないのだけど、やらないよりきっとましだ。それから「超短編小説」の募集に6作品応募してみた。そしてわたしがいつまでもやらなかったこと、「小説を応募する」。これをわたしはやってみようと思う。結果がぼろくそだって構わない。ぼろくそだったんだって自覚すればいい。わたしは何にもせずにどうせ無理だと悟ったふりをしてきた。うまい人はいっぱいいる。わかってるけど今を逃したらわたしは本当に何にもせずに諦める気がする。微温湯に浸かって他人の意見など聞かずにここにいつまでも留まっている気がする。小説はもう出来た。あとは封筒を買ってきて郵便局へゆけばよい。そして現実を受け止めればよいのだ。何かといって思いつくのはそれしかないから。本当にこれしかないから。
 
 
2月25日
 
 ずっと右手の薬指にはめていた指輪の所為か、指がかぶれた。
 夢をみた。ずっと夢から醒めない夢をみた。わたしの家にはたくさんの友達(それは昔の同級生だったりバイト仲間だったり)がいて、うちの食材でパーティーをひらいていた。たくさんの人たちと笑ったり泣いたりした。こんなことは夢だと思った。何度も夢から醒めるのだけど、やっぱりわたしの家にはたくさんの友達がいて、みんなと笑ったり泣いたりしていた。やっぱり夢じゃなかった。たくさんの友達に囲まれてわたしはうれしかった。
 夢から本当に目醒めたとき、わたしはひとりだった。リビングや自室を確認したけれど、やっぱりひとりだった。こんな夢はいらないんだ。後からさみしくなるようなこんな夢は。実際のわたしには少数の友達がいて、さみしいときに誰に電話をかければいいのか悩み、結局数分携帯を弄んでそれで終わる。時々はお母さんにかけたり弟にかけたりする。それくらいだ。くだらないダイレクトメールが一日に数通きて、その度に消去する。それくらいだ。
 余裕のないわたしは余裕のないきみに手を差し伸べることすらしない。自分のことばかりで他人を望むなんて都合のいい話だ。そんな都合のいいことばかり望んでたっていつまで経ってもきやしないよ。
 
 
2月12日
 
 朝の9時に関内にいたわたしは3人もの上司とやらに囲まれて、大丈夫だからね、気楽なお仕事です、と諭されていた。しかも9時集合では早かったらしく、3人の上司とやらに囲まれて喫茶店でコーヒーを飲まされた。朝の7時20分に家を出て、なにが気楽なお仕事だ、と心の中で毒づいた。
 渡された800枚のデータは思ったよりも面倒な入力で、でも他人にきくのも面倒で、適当に捌いてやった。根詰めてやらなくていいよ、適当に疲れたら休んでいいよ、と4人にも5人にも言われ、その度にしょうがなく喫煙所へたばこを吸いに行ってみるが飲み物を買うお金がない。昼飯代もない。
 12時に鐘がなってさてどうするかと思っていたら3人の上司とやらに連れ出されてフレンチのランチなんか食べさせられた。最後にコーヒーとケーキが出てきて、ひとりに「俺ケーキ食べられないんだ。食べる?」と訊かれたので本当は別に欲しくなかったが可愛げのある振りをしていただいた。頭の中は会計のことでいっぱいだったがさすがに奢ってもらえた。それからみなとみらい線に乗ってみろと執拗にすすめられた。天井が高くてかもめが鳴いているらしい。
 そして3人の上司とやらはわたしをひとり残して帰ってしまった。下請け会社の上司だからしょうがないのだけど、本当にひとりだったのでびっくりした。2時間くらい休みをとって帰ってきても怒られないよ、と言われたのも驚いた。休むのが仕事みたいだ。
 時々見かける同い年くらいの男の人のスーツ姿は誰も彼もが冴えなくて、恋人はもしかしたらかっこいいのかしらと悦にはいった。まぁ、ひとりは気楽だ。誰とも仲良くなる気がしない。フロアですれ違っても「お疲れ様です」の一言も言わなくていい。なんだここは。有り得ない。
 そういえば、昨日TVではねるのトびらを見ていたらひろひろとしおりのコントの秋山に自分が似ているような気がした。気がしたので試しに「にゃにゃにゃにゃ〜ん」と言ってみたら、恋人が「あれ緑に似てるよね。俺先週から思ってたんだ」と言われショックを受ける。やっぱり似てたんだ!やっぱり!
 話がずれたがとにかく働いて休まなければいけない。別に休まなくてもいいのに休むのが義務だ。そして5時になったら即効帰された。しかし朝が早すぎる。おにぎりも握れない。夜に握っておくしかないのか。行きと帰りの電車で吉田修一の「日曜日たち」の大半を読み終えてしまった。それくらい関内は遠い。
 最寄駅から一直線に延びる通りをのろのろと歩いた。いくら早く歩こうとしてものろのろとしか歩けなかった。色んな人に追い越されながらのろのろと歩いた。一生家にはつかない気がした。朝はシャキシャキだったかというと朝ものろのろだった。全身が退化しているのを感じた。思えばここ4ヶ月、クリニックにしか行ってない。上司ののぼる階段にも追いつけなかった。半月で人並みに歩けるようになるだろうか。
 
 
2月6日
 
 わたしの中の暴力性。私の中の狂気。自分を傷つけるのではなく、外へ向いた暴力性。
 わたしは三浦陽子を殴っていた。手で殴り、足で蹴り倒し、窓ガラスを突き破り、血だらけになった顔を何度も殴った。三浦陽子は笑っていた。彼女の膣にはさつまいもが入っていた。エステのような性感マッサージ店に彼女はいた。この薄気味悪いド変態が!
 覚醒するとまたわたしはそのストーリーをイメージし、続きをみることを望んだ。何度殴っても殴り足りないわたしは何度も覚醒し、何度も夢の中へ入りこんだ。自分の凶暴性が外へ向くことの快感。恍惚。わたしはそれに何度も身を委ねた。
 完全に目の醒めたわたしは自分が恐ろしかった。今まで自分のことを傷つけることしかなかったわたしに、そういうものが携わっていることに怯えた。身体にまだ血が残っているような気がして風呂に入った。わたしはパニックを起こしかけていた。まだ人間の感触の残る左手でシートから薬を出し、それを飲み込んだ。望んでいるのだろうか。誰かを傷つけることを。奥底にある狂気。それをわたしは見た。
 
 
1月31日
 
 昨日Syrup16gのライヴに行ってきた。わたしを知っている人には到底思い描けないだろうが、とうとう拳を振り上げてしまった。それくらい良いライヴだった。ただ跳ねていると足を踏まれて隣に白いタートルの太った女の子が来たときはちょっと焦った。Vo.の五十嵐くんはやはり徹底して喋らず、アンコールまでに喋った言葉は「ありがとう」と「ありがとうございました」だけだった。
 ところで太りすぎて服がはいらなくて困っている。いや、はいるものもあるのだが、シルエットが明らかにデザイナーの意と異なるので困っている。どうしてこんなに太って戻らないのだろうか。この間の夜に「もう戻らないのかなぁ・・・」とぽつりと言った恋人の言葉が耳に、心に突き刺さる。それでもわたしを見捨てない恋人はある意味尊敬に値する。
 日曜にはZAZEN BOYSのライヴがある。これはエクササイズだと思って汗を流してこようと思う。
 
 
1月30日
 
 昼間からチューハイを飲んで、少し靄のかかったぼんやりとした頭で。
 目が醒めるといつもここはどこだと思う。ここはどこだ。・・・ああ、リビングで、わたしの恋人はあの人で、一緒にここで暮らしているんだ。毎日繰り返す。ここはどこだ。恋人は誰だ。判断するのに少しの時間をかけて。どうしてしまったんだろう。何故認識できない?薬の所為?・・・違う。潜在意識の中で現実を逃避しようとしているわたしの所為。夢の中ではわたしはいつも学生で、それはやり直したいと思っているからだろうか。意識せずに無駄に過ごした学生時代。それを今更後悔しているのだろうか。こんなはずではなかった未来を夢みているのだろうか。
 生きている意味がわかりません。それは本音。少し先の楽しかろうことを待ち望んで生き延びている。生きている意味がわかりません。それはみな同じ。わたしだけじゃない。神様はいますか?天国はありますか?一度も信じたことがありませんけど。祈ること。それはアトラクション?縋ること。何が違う?
 チューハイを飲んだぼんやりとした頭で。何がしあわせ?ねぇ、何が。
 
 
1月27日
 
 わたしは中学生だった。その頃つきあっていた男の子のお母さんはいつも着物を着ていておっとりした美人だったけど、少し変わった人だった。男の子の家に行くと、常に豆粒くらいの猫が足元にわらわらいて、踏み潰さないようにつま先をそっと差し入れると足の分だけ猫は動いた。指先くらいの少し大きな猫を手のひらに乗せると、にゃーとかわいい声で鳴きおとなしくしていた。
 わたしは2度この夢をみていた。だから先のことがわかる予知能力を持っていた。給食が足りなくなることも、本当はあの子がわたしを好きじゃないことも全部知っていた。過去を変えてはいけないと思いつつ、わたしは助言した。するとその場は丸く修まり現在が少しだけ変わっていった。転校生のあの子はわたしと親しくなり友達だったあの子は遠ざかっていった。わたしは学校をひとりで出、プールに浮かんだり男の子の家をこっそり覗いたりしていた。お母さんはやっぱり美人で庭は日本庭園になっており、わたしはそこへ行くといつもほっとした。時々お母さんはわたしを家にあげてくれた。わたしは豆猫と戯れくったりとしていた。焦燥という文字とは無縁の空間だった。わたしはいつまでもそこにいたいと思った。ずっとずっとそこにいたいと思っていた。
 
 
1月24日
 
 酒とたばこがあればええねん。あと薬な。バリやばい。
 わたしと恋人は今更ナンバガにはまっている。DVDを繰り返し見、かっこええと繰り返す。繰り返される諸行無常。蘇る性的衝動。なんで解散してからこんなんなんだろう。NUMBER GIRLしかりfishmansしかり。
 
 頭を撫でられる感触。ふわりとした気持ち。なんでもない造作でしないで。好きになっちゃうから。無邪気に触らないで。好きになっちゃうから。きみならいいよ。もっと触って。髪を撫でられるの好きよ。なんだろう、この感触。全てを赦すような、この感覚。幼い頃知っていただろうか。こんなに心を赦せる人がいることを。
 
 
1月19日
 
 ウェイストランドを読んでいた恋人が、この人とわたしは随所似ていると言った。後藤繁雄さんがインタビューした川上弘美の記事だった。読ませてもらったがわたしには、どこがどう似ているのかわからなかった。けれど推測するに、多分過剰な「女」の部分が似ているのだろう。なんにせよ、わたしは川上弘美が好きだから、江國香織に似ていると言われるよりうれしい。江國香織は特別なときにしか食べられない高級なお菓子のような感じ。文章の中にも育ちの良さがひしひしと感じられる。最初はうれしくって夢中で食べていたけど、そろそろ甘くて飽きてきた。川上弘美は珍味だ。かにみそとかあんきもとか日本酒に合いそうな珍味。酒がすすめば肴もすすむ。そして読み終わった後はちょっと大人な酔い方をする。川上弘美はわたしにとってそんな作家だ。だからと言って、わたしがそんな文章を書けるかというと、それはまた別の問題。
 
 
1月13日
 
「きみのせいだからね」
 わたしはメールを打った。
「ようちゃんが死んだらきみのせいだからね」
 随分と傲慢なメール。一緒に死のうって言ったじゃない。ひとりで先に死ぬなんて赦さないんだから。だからわたしはメールを打った。傲慢なメールを打った。
 依存は孤独を一緒に連れてくる。だからわたしは午後まで眠りつづける。孤独な時間を少しでも減らすために。孤独と感じる隙を与えないために。夢の中には誰かがいるから。寂しくないから。
 気づいて欲しかったんだよね?だからきみはメールを打った。気づいて欲しかったんだ。だからわたしはメールを打った。やっかいなわたしたちはやっかいにも薬を持っている。いくら飲んでも死ねないからね。そう先生は言ったけど、それでも死んだように眠ることを夢みてる。一ヶ月分の処方をしてもらえなくなったわたしは2週に一度クリニックへ通う。待合室で会いましょう。来週も、その次も。そして笑ってお茶をしよう。来週も、その次も。
 わたしは恋人が大事です。きみもそう。だから手を伸ばしたらそこにいて。指先が触れるところに。勝手な言い分だけど、そこにいて。大好きと言ったわたしにありがとうございますなんて言わないで。同じリングをはめている間はわたしのことを受けとめて。あなたが弱っているときはそう言って。違う誰かにそれを求めないで。お願いだからわたしの存在意義を奪わないで。
 大丈夫なんて軽々しく言っちゃだめだよ。体温がほしいときだってあるよ。ここにいることを身体で知りたいんだ。ここにいる。わたしも、あなたも、きみも。
 
 
1月11日
 
 脳の神経を刺激して精神活動を活発にし、気分を高め、憂鬱感、不安感を取り除く薬です・・・ いくら脳の神経を刺激したところであの黒いヤツに捕まるときは捕まって、わたしは昨日から何にもしたくないし何もしていない。縮毛矯正のとれた前髪は奇妙な方向へうねり、携帯のメールを返信する気も起きず、たばこを買いに行く気力もわかず、恋人へのご飯も作らず、恋人の淹れたコーヒーにだけ口をつける。右目のコンタクトが入っていない所為で世界は曖昧にぼんやりと、自分の目が白く濁っているような印象を受ける。なんだかんだ言って結局は調子がよくないのだ。それを治す術も知らない。
 SOHOの仕事をしようと資料を取り寄せたら費用が491400円かかると言う。何故金を稼ごうとして借金を作らなければならないのか。ばかばかしい。レイクのカードも一緒に作れと言う。人を陥れる仕事か。
 何にもやる気がしない。願わくば暖かい場所に転がっていたい。ついでに記憶も飛ばしたいが、これをやるといつの間にか余計なことを喋る傾向あり。
 
 
1月8日
 
 そんなにまめに見たって更新されやしないよ。
 年賀状なんですけども4枚はすぐにはけたんですけど、来ると思ってなかった友達からの年賀状で増刷したら一枚余りました。なのであと一名募集しております。ちなみにどんなものかと言いますと、わたしと恋人の2ショット写真になっております。やれ結婚しただのやれ子供が育っただのいう年賀状へのあてつけで作ったのですが、ただの痛い年賀状になっております。ご了承ください。
 
 
1月4日
 
 明けましておめでとうございます。年賀状が4枚余ったので、欲しい人はメールフォームから受け付けております。4人もくるかわかりませんが、なくなり次第終了とさせていただきます。今年もどうぞよろしくお願いします。
  































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