ただ通り過ぎるのを待つ 午前0時に僕を呼び出した彼女は、すでにアルコールを摂取しすぎていた。 ニ年振りに会ったというのにこの待遇はなんだと一人ごち、これからどうすんの、と聞くと 「横になれるところへ行きたい」 と言う。誘っているのかと少し呆れて彼女の表情を窺う。 「久し振りに会ったのにごめん。さっきまでまだ飲めると思ってたんだけど…」 彼女の顔色は青白かった。 一人素面でいるのも居心地が悪かったが、店で吐かれても都合が悪い。向かうべき方向を見失った僕は 「カラオケ?それともホテル?」 となるべく感情をこめないように聞いた。当然終電などなかった。 ガラスでいくつもの空間に仕切られた冷蔵庫から2本入りのチューハイを取り出す。一箇所だけ蓋もなく空いているスペースに一本入れてドアを閉じる。 「あーなるほど。そこはそうやって使うんだね。今度彼女ができたら同じことやってみてよ。きっと呆れられるから」 横で覗いていた彼女が笑う。 「金曜の夜に空いてたことが奇跡だな。ちょっと値段は高いけど」 「いいの、出張費で落とすから。それより元気ね。何時に起きたの?」 「何時だろう。でも寝たのは3時間くらいだよ」 「…眠い」 「寝ていいよ」 折角会ったのだから朝まで起きていると言い張る彼女はコーヒーのプルトップを開けた。だけど僕らの話の糸口は昔話くらいしか思いつかなかった。何度も電話でリハーサルされたような会話。そして僕はいつものように色んなことを忘れていってる自分に気づく。 「正直あまり憶えてないんだ」 「昔の話ばかりでごめんね。楽しくないよね」 「え、いや、そんなことないよ。楽しい楽しい」 「二度同じ言葉を繰り返すのって言われた本人は傷つくわよ」 「そうだね。無意識なんだ。ごめん」 お互いの気遣いは2年以上の空白を示唆していた。 彼女は僕が冷たくなったと言った。そうかもしれない。そしてそれをこの街のせいにしていいのか、僕には判断がつかない。 お互いシャワーを浴びそれぞれベッドとソファからTVを眺めた。会話がなければ昔と少しも変わらない空間のように思えた。 願わくば、このまま彼女が寝てくれますように。僕が忘れてしまったものをこれ以上突きつけられませんように。 2本目のチューハイで眠気が襲ってきた僕は、目を閉じている彼女の隣にそろそろと入った。あまりに落ちついた自分の気持ちに戸惑いすら感じた。 「寝てる?寝たふりだろ」 彼女は吹き出し 「だんだん目が冴えてきちゃった」 と天井を見つめながら呟いた。わざわざ確認することもなかったな、と自分のチグハグな行動に溜息をつこうとした瞬間、彼女の唇が触れた。 甘んじて受け入れてみるが何だか急におかしくなって僕は笑い出した。 「笑わないでよ」 口調には拗ねた響きもあったが、彼女も笑っていた。 「ああ、ごめん。だってさ、何か…近親相姦っぽくない?倒錯した世界だ」 「そうだね。すごく変な感じがする。怖いとも思う」 「怖いの?」 「怖いよ」 何が怖いのだろう。そんなハンデを背負いながら彼女は何を確認したいのだろう。 「僕はどんな距離感でいたらいいのか分からないんだ。全ての人において当てはまることだけど」 「もっと甘えたらいいのに」 「そうだね。だけど甘えるってどうしたらいいのか、それすら分からなくなってしまった」 彼女は分かったような分からないような顔つきをし、もう一度キスした。再びこみ上げる笑いを誤魔化すように、僕は 「まさかするつもりなの?」 と聞いた。 「しないつもりだったの?」 「ぶっちゃけた話そんなつもりはなかった」 彼女は苦笑まじりに 「じゃぁ、しない」 と言い、ポスンッと自分の定位置に戻った。 そして自分に言い聞かせるように 「このままいい想い出として留めておいたほうがいいのかもしれない」 と呟いた。 気配を感じ、ふと目を醒ます。視界は真っ暗で、どのくらい寝ていたのか時間を推算することはできなかった。多分彼女はずっと起きていたのだろう。何も見えないこの部屋で、それだけはやけにはっきり感じた。そして僕の目が醒めたことも彼女は気づいていると思った。 僕に彼女を拒む言葉はもう出てこなかった。性欲とは別物のように思える衝動。よくない結果を生み出すだろうと予感しながらそれでも何かを確かめたがっている切羽詰った彼女に、これ以上何が言えるのだろう。 キスをしてから彼女は 「してもいいですか」 と小さな声で聞いた。僕は暗闇か彼女か分からないところを見つめながら 「いいよ」 と答えた。 人気の少ない午前、JRの改札で僕らは別れた。 黒いボストンバッグが見えなくなった後、僕は空腹と虚しさに気づいた。 虚しさなんて感じない術を身につけていたはずだった。寂しさを埋めるためのセックスなど持ち合わせてはいなかった。3年前僕は彼女が好きだった。でも、ただそれだけだ。人の気持ちがこんなにも変わることを自分で目の当たりにしたのだ。 そしてこの感情こそ僕が他人に一番恐れているものだった。 |
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