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風光
 
 「〜に行ってみようか」
 徹夜明けのぼんやりとした頭で外へ出ると太陽はカンと照っていたが、湿気は少なく肌を撫ぜる風が心地よかった。
 僕たちはそれぞれ家路までの切符を買い、ホームに並んで立っている。
 突然の彼の提案をうまく解することができずに、僕はもう一度聞き返す。
「今から公園に行ってみようか」
 指さされた駅は僕たちの切符と別の路線。
 
 日曜の午後、小さな商店街は家族連れで溢れていた。細い路地を得意げにバスが行き交い、道の端に身を寄せた僕に届くのは靴屋の皮の匂い。重厚な空気の渦巻くアスファルトをしばらく進むと、川のように細長い池の先が見えた。
 あまりの陽気に頭がおかしくなったのか、僕は一人売店でソフトクリームを買い、舐めながら池の縁を沿う。何艘ものボートが浮かぶこの池でのんびりと釣り糸を垂らす人々。彼は缶コーヒーを片手に水色のバケツを覗き込む。
「この魚は何?」
「んーフナ」
 振り返った子供が素っ気なく答える。
「これは鯉だと思うがなぁ。釣るんだったらやっぱり食べられる魚がいいなぁ」
「ブルーギルだってどうにかすれば食べられるのだから、何でも食べられるんじゃないかなぁ」
 と僕は言ったが、もちろんそんな罰ゲームみたいなものを食べる気はなかった。ふいに弟と行ったハゼ釣りが頭を掠め、少しだけ地元に思いを馳せる。
 甘いミルクは安っぽいコーンに何本もの白い筋をつくる。僕の手からだらだらとこぼれ落ちたそれを見て、彼は困ったように笑う。手や服をべたべたと汚しながら、多分僕は太陽の下でこれを溶かしたかったのだなぁと思う。
 
 池を横切る橋を渡り樹の茂る日陰へ入ってゆくと、南の国の音楽が奏でられていた。小さなステージの前に腰をおろし、今日の空気に微妙に馴染むその音色に耳を傾ける。緑と白のムームードレスを纏った白髪の女性がやわらかな投げキッスを贈る。そんな光景を微笑ましく思うと同時に僕は少しむず痒くなり、思わずはにかむ。
 空が見えないくらいの木々に囲まれた広場のベンチに座り、ゆっくりと煙を吐き出す。ただぼんやりと緑を眺める僕と違って、彼の目には色んなものが映っている。何もないような世界の小さなものを見落とさない。僕は感心しながら彼がぽつりと言う言葉の示唆するところへ注意を向ける。彼はもう別のものを見ている。
 重なり合う葉を眺めていると、幼い頃の写生会を思い出す。公園で思い思いの場所を陣取り広がる風景を写しとろうとするのだが、見れば見るほど僕には目に映るものが何色なのか分からなくなる。そして結局自分には表現できるはずもない、といつも途中で放棄した。
 それなのに、僕はなぜ綴ろうとするのだろう。表現できるはずもない情景を。
 
 小さな池の辺で真っ白と斑のアヒルが羽を繕っている。木漏れ日が水面を反射し、葉がゆらゆらと波打つ。石垣の上で真っ白と斑の猫がにゃーと鳴く。
 僕たちはまたベンチに座り、まだ高い太陽を木葉越しに見上げる。空になった僕の煙草に気づいた彼が、さり気なく自分の物を差し出す。
 全てはゆっくりと流れる。
 きっと僕が何かを綴るのも写真を撮るのも、記憶に残しておきたいからだと思う。いつかそれを見て懐かしむ為ではなく、忘却に委ねる自分の内に鮮明に残しておきたい、と願う所為だと思う。
 多分僕は忘れてしまうから、せめてこの行為を。
 
 いつの間にか太陽は視界から消えてしまった。夕暮れはあの柳の向こうにあるのだろうが、ここからはよく見えない。空は白く発光し、雲は水色に染まっていた。しばらく水面を眺め、僕らは駅へ向かって歩き出す。知らない町を通り過ぎるバスに揺られながら、他愛のない話をする。
 踏切で止まるバスの窓から見えるのは、すれ違ってゆく黄色い電車と蒲色の夕陽。彼の腕と僕の足にはいくつもの赤い斑点。
 






























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