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焦点の合わない世界
 
 折り目のない薄いピンクの紙は僕の手の中で820円に変わっていた。地下鉄の階段を下る前に真新しい煙草を開き一本火をつける。落着きを取り戻すためにゆっくりと、目に映るもの、耳に聴こえるものだけ反芻しようとする。ミスタードーナツ… 悲しみをぶっとばせ…今すぐスピードを上げよう… 吉野屋並盛290円… 悲しみを…ぶっとばせ?ハハ、かっこいいね。短くなった煙草でいつのまにか皮肉に変わっていたことに気づく。携帯灰皿を持っていなかった僕は溜息をつき、火の消えた吸殻を指に挟んだまま階段を降りる。
 
 僕は時折冷たい目をする。知り合いが見たこともないような表情を貼りつけることができる。自分自身鏡に映したことはないが、そんなことは確かめるまでもない。焦点の合わない世界だけで充分だ。
 
 甲虫の蛹は成虫の形をしていながら中はドロドロだという。僕はメスのようなもので、さっくりそれを切り開く。クリーム色がとろけてゆく様を眺める自分を何度も想像する。
 
 どうしてそんなに…
 
 電車の進入を感じた瞬間飛び込んでみようかという衝動にかられる。目的は死ではない。飛び散った肉片や脳髄をただ見たいだけだ。本当にそれらを目にした後で心がさざめくことも、嫌悪感に襲われることも容易に想像できる。でもその想像は衝動を押さえ込むのにあまりにも無力だ。
 
 どうしてそんなに… 純粋なんだ?
 
 一瞬耳を疑う。純粋?何故「純粋」という言葉が出てきたのだろう。何か言葉を取り違えたのかもしれないし、哲学的な意味合いで使ったのかもしれない。
 −感覚的なことや経験的なことを含まないさま−
 辞書を引き、何となく解した気になってみる。その口調には明らかに僕を責めている響きがあった。責めている、というよりも嘆きや慰めに近かったかもしれない。それでも僕はそのフレーズを敢えて褒め言葉のように捉え、小さな声で呟いてみる。
 
「僕は純粋です」

 






























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