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秋生(2)
 
 お正月なんですけど、「七福神巡り」に行きませんか?
 クリスマスも終わった年末のメールだった。このあいだのデートで年末に帰るあてのないわたしに秋生は実家へ帰ることをやめ、一緒に過ごしましょうと言ってくれたのだ。わたしもひとりの年越しは生まれて初めてだったから、秋生の言葉がうれしかったし、七福神巡りだなんてまさにお正月っぽくてうきうきした。秋生はそういうわたし好みの楽しいことを見つけるのがうまい人だった。
 大晦日の午後に秋生はお餅を手に初めてうちへ来た。思いっきりお正月っぽいことをしよう。そうふたりで言い合いスーパーでお雑煮の材料と日本酒を買った。男の人とスーパーで買物をする、その行為だけでわたしは満たされそうだった。2人分のものを買うことがとてもしあわせなことに思えた。
 蕎麦を食べ紅白を見、日本酒を飲むと新年がやってきた。明けましておめでとう。お互いそう言ってから秋生は住所のない年賀状をくれた。年賀状には不思議で奇妙な絵がたくさん描いてあった。鷹、富士山、なすび、セブンスター、裸の女の人、太陽、月、星、本、丘、木・・・家の煙突からは魚と林檎が音符と一緒に飛び出していた。そして下のほうに「初夢からずっと目が覚めないような素敵な夢を見ましょう」と書いてあった。すごく素敵な年賀状だった。それから近所にあるという神社へ行った。近所なのに散々歩き回って迷ったけれどそれも楽しかった。神社はわりと閑散としていてお参りをするとすぐにすることはなくなった。わたしは少しはしゃいでいて石垣の上から飛び降り、転んで膝に痣をつくった。
 元旦は七福神巡りをするべく昼過ぎから地下鉄に乗りこんだ。七福神に会うたびに鈴が増えていく、と聞いていたので早く重なり合う鈴の音を聴きたくてたまらなかった。ひとつめのお寺で笹と宝船の堤燈と七福神がひとりついてきた。そうやってひとりひとり増えていくはずだったのだが、ふたつめのお寺でふとゴミ箱に目をやると、なんと7人揃った笹が2本捨ててあった。神様が捨てられてる光景にも驚いたけど、それがちょうど2本あったことにも驚いた。きっとわたしたちを待っていたんだと思い、拾いあげた。ふたりで1本ずつ笹を持ち、シャラシャラ鳴らしながら7つの寺を巡った。夕刻、7つめをまわった頃にはふたりともくたくたになっていた。
 その後はもうぐだぐだだった。コタツに入ってエマニエル夫人を観て笑い、日本酒を飲んで気持ちのよくなったわたしは秋生にキスをした。秋生はわたしのことをだんだん好きになってきていると言って恥ずかしそうに笑った。だけど恋人にはならなかった。でもセックスフレンドとも違う。恋が始まっているのだとわたしは肌で感じていた。
 
 パニックがきた。それは本当に突然やってくるものでてんでデリカシーがない。ジョーズだってダースベイダーだって、登場するときにテーマってものがあるのだ。間違っても夕方がらがらに空いた地下鉄の車内で、梔子色に座ろうか、それともカナリヤ色にしようか、そんな他愛もないことを迷っている瞬間に登場するもんじゃない。
 絶好調!って思っていたんだ。さっきまで、絶好調!!って思ってたんだ。病院に着いたら先生に「パニックは薬飲んでいればほとんど出ません」って報告するつもりだった。それがどうだ。目つきは明らかにおかしいし、向かい側の人たちの顔だってぼやけてて、瞬きでもしたら意思なんかおかまいなしに顔中びしょびしょに濡らしてしまいそうだ。わたしはゆで卵になって、誰かが外側から剥こうとしている。殻と薄皮と中身、間が少しずつひらく。するりと薄皮の剥がされる感触がする。身体ん中のどろどろしたものをぶちまけられそうだ。蛹みたいにわたしの中身はどろどろなんだから。
 た す け て 分 離 す る
 ここにいさせてこのままでいさせて音がきこえない誰かわたしにさわって
 携帯が震えてる。右のポケットで震えてる。耳にぎゅっと押し当てたら、いつもとおんなじ声がする。
「分裂しないよ。ふたつになっちゃったら・・・困るよ」
 変なことを言う。いつもと同じ、変なことを言う。ふたつになったら困るのか。はは、そうか。ふたつになんかならないよ。うん、ならない。ごめんね。病気だよね。現実感が、まだないよ。だけど、秋生がいてよかった。
「先生、さっき、パニックきました。あと、母乳が出ました。それからアモバンは効くけれど、次の日味がわからないくらい口の中が苦い」
 店内がバスの座席みたいな場末のカフェで頼んだたらこスパゲッティはどっから見てもたらこうどんで、一体どんだけ茹でりゃこんなになるのかねと思いながらホットミルクを飲んだ。砂糖2杯入れた甘いホットミルク。ここではこれだけが救いだった。
「会いたい」とメールを打った。
「会いたい どうしても今日会いたい きみに触りたい」
「うん わかった」
「今からタクシーに乗ります 抱きとめる練習しておいてください」
「コンビニで 両手広げて まってます」
 わたしの言ってもらいたかった言葉。バカみたいに単純な言葉。それでもとてもやわらかく、わたしを包み込んでくれる言葉。
 秋生はわたしが今まで出会った中で2番目くらいにやさしい人だ。
 
 鼻なんかついていなければもっと近くに寄れるのに。わたしがそう言うと秋生は鼻はあったほうがいいと言った。食べ物や花や煙草や人間の匂いが嗅げるし鼻の冷たさは心地よい、と。なるほどと思った。これから春の匂いも嗅がなければいけない。
 秋生は突飛なことをするのも得意だった。午前2時に秋生のうちでトンカツを揚げ、ふたりで食べた。わたしはその頃には秋生とつきあいたいと思っていた。だからベッドの中でどうしたいのか秋生に訊いた。秋生の返事は芳しくなかった。わたしはもどかしくなり「つきあって」と口をつきそうになった寸前、秋生はそれを手で制した。それからベッドに正座して向かい合い「つきあってください」と真剣な顔で申し込んだ。わたしも神妙な顔つきで「はい」と答えた。
 


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