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秋生(3)
 
 秋生とのつきあいは陽だまりみたいに穏やかだった。古びた風情の日本民藝館、映画の日に観る邦画、秋生の作った鍋いっぱいのおでん、梅の木の下でのおにぎりやお茶。そんなささやかなしあわせを繰り返しながら日々は過ぎていった。
 秋生は相変わらず秋生らしく「寝るのがこんなに気持ちよくなかったら寝ないのに」と言って、5番目の季節として「布団」というのが人類には必要なのではないかと熱弁したり、体重の増えたわたしに「食べるなら僕を食べて」と言ったり、恋人のいるバレンタインがうれしくてチョコレートを5つも買ってしまったわたしに「チョコ5個も買っちゃったの?もう、バカ!」ときゅんとするメールを送ってきたり、暇があればわたしのお尻を触ったりしていた。そうかと思えば「最近、日々涼子さんが 僕の体の中に解けてしみ込んでくるような感じがしています。」なんて素敵なフレーズをくれたり「演歌の花道をみてしきりに感動していました。演歌ってやっぱりいいですよ、涼子さん!」と感激を露にしたりもした。この世にふたりといない人。そう言ってしまえばみんながみんなそうであるわけだけど、わたしにとってそう思えたのは秋生で3人目だった。そして梅の花が咲き乱れている頃秋生は会社を辞め、わたしは病気のことで会社を解雇された。
 
― 私たちは駄目になるために一緒にいるわけじゃない
「秋生がいなくなったらこんな風に触れられる人が誰もいなくなっちゃうね」
「俺だってそうだよ。いなくならないよ。いなくならないでね」
「うん、いなくならないよ」
 夕刻。一日の大半が過ぎたはずなのに、秋生の一日はまだ始まっていない。秋生の隣にするりと滑り込み、温かな掛け布団をすっぽりと被って、世界から隔離された山吹色の中で、秋生を背中から抱きしめる。
― 溶け合えるくらい近くにいるときが、一番遠く感じられるんだ
 どんなに強く力を入れたってダメだよ。確かめる方法を間違っているんだからね。ここにはふたりしかいないよ。一番ちいさな世界だ。ねえ、ここは気持ちいい?ふたりこのままここにいようか。腐ってゆくみたいに、ずっとこのままここにいようか。
「大丈夫」
 突然秋生が口にした言葉。わたしの手を握りながら、もう一度、同じ言葉を繰り返す。
「大丈夫?・・・どっちが?」
「どっちも」
 わたしは何も声にしていないのに、どうしてそんな言葉を口にしたのか。お互いの不安が共鳴している。滲み出てきて、どうしようもないんだ。一緒にいることで増長する不安。見つけた解決方法は、ふたつあるけどまだ言いたくない。
「昨日はとっても不安でした。天気も悪かったので、なおさら寒々とした気持ちでした。僕の不安そうな顔色が涼子さんに伝わって涼子さんも不安になったのだろうと思います。涼子さんが解雇されたと聞いて僕も不安になったのだろうと思います。確かに増長しますね。解決法はまだ言わないで下さい。」
 次の日の秋生からのメールだった。
 
 秋生が風邪をひいた。わたしが行ったところで何ができるわけでもなく、桃缶とプリンをふたつずつテーブルにひろげ、秋生の作った豚汁などよそってもらい、モンスターズ・インク(こういうときにはやさしい映画を、と秋生は言った)を観て寝ただけだったが、違ったのは秋生がわたしのほうを向き、腕にしがみつくようにしたことだった。顔やおでこに頬をつけるとわたしより高い体温が伝わってくる。このまま体温を吸い取って、ふたり同じ温度になればいいのに、と思いながら髪を撫でた。普段から「大人の男はお尻だよ」と公言している秋生の片手がわたしの胸を触る。これが本能なのかとぼんやりと思う。男の幼児的本能と女の母性本能。
 区役所で作った図書館の貸出カードのように頼りない国民健康保険証を財布にしまい、病院へゆくために渋谷行きのバスに乗った。低い床に並んだ席に座り、窓から知らない町の景色が通り過ぎるのを眺める。
 そういえば、いつからか空を見ていなかった。昼も夜も外にさえ出ればぽかんと口をあけ呆けた表情で、いつも空ばかり仰いでいたのに、最近のわたしは目先の春や秋生ばかりを追って、全然空を見ていなかった。
「もしわたしたちが別れるとしたら、理由は何だと思う?」
「先が見えないから」
 窓から見える空は水色で、綿菓子をちぎったようなぼわぼわとした飛行機雲が横切っている。どこまで続いているのだろう。その先を探してみたけれど、目先の春に遮られ、行きつく先はわからなかった。
 


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